752-1 濡れたタオルを使う妻 vs 乾いたタオルを使う夫
先日、ネットニュースでこんな記事を見ました。
育児中の主婦の方が、少しでも洗濯物を減らすために、ご自身は娘さんが使った後の濡れたバスタオルを使って身体を拭いているのに、ご夫君は朝と夜とで新しいバスタオルを1枚ずつ使うのだそうで。
「こっちは湿ったバスタオル使ってるのに、優雅に乾いたタオル2枚使ってんじゃねえ!って腹立つんですよね。」、というような内容でした。
家事をメインで担当される主婦・主夫の方には、わかるわかる、と頷かれる部分もあるかもしれませんね (^ p ^)
さて、こんなよくある(かもしれない)ご家庭の1シーンですが、この記事を読んだときにちょっと気になったのは、この主婦の方の「我慢」についてです。
752-2 小さな我慢
この方は、タオルを洗う手間と、濡れたタオルを使う居心地の悪さとを天秤にかけて、より我慢が少なくて済むほうを選択されているのだと思います。
わたしたちの日常生活には、多かれ少なかれ、こうした我慢が存在しています。
それは、湿ったタオルを使うという程度の、ごく小さな居心地の悪さであって、気にしなければ気にしないで済むような、簡単に目をつぶって見逃してしまえそうな、そんな小さな違和感でしょう。
でも、そこには確実に我慢が存在します。
冒頭の主婦の方だって、ご自分が我慢している実感があるから、遠慮しないでタオルを使うご夫君にイライラするわけですよね。
身体の原理原則では、我慢が介在するアプローチは居心地の悪さやパフォーマンス低下につながります。
たとえばいま自分が寝ているシーツにシワが寄っていたとして、自分の意識ではそんなシワなど全く感じ取れなかったとしても、その人の身体の状態は崩れます。
シワを伸ばすと、身体がより良いパフォーマンスを発揮する方向に変化します。
752-3 我慢する自分を超えてみよう
我慢とは、それほどの力を持っているのです。
我慢していることに自分で気づいているかどうか、自分でそれを我慢だと思っているかどうかは一切関係なく、身体が違和感を受け取っているならば、それは我慢です。
念のためですが、我慢するな、タオルを何枚でも使え、シーツには1本もシワを寄せるな、、、ということを言いたいのではありません。
やむを得ない場面はいくらでもありますから。
ただ、わたしたちが日常生活で何となく見過ごし、やり過ごしている、小さな我慢や違和感に、どれほど大きな影響力があるかを、感じ取っていただけたらなと思います。
もしあなたも、ちょっと我慢して濡れたタオルを使っているようなことがあるなら、一度思い切って、乾いたタオルを使ってみてはどうでしょうか?
「我慢する自分」を超えた先に、新しい何かが見えてくるかもしれませんよ。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。
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