何もしないと居心地が悪い
わたしの中には根強い罪悪感があって、それは「何もしないこと」です。
何もせずにいるとすごく居心地が悪くて、何か悪いことをしているかのような気持ちでソワソワしてしまいます。
だから自分がダラダラしているところを家族に見られると、「わたしは昨日の夜27時まで作業をしていて今日は半日オフにしようと思ってるんですよおおぉおお!」などと、誰も聞いていないのに言い訳したくなってしまいます(^ ^;)
何も作業ができていない焦り
今年は、自分にとってはとにかくいろいろなことがありました。
今もまだいろいろなことを考えていて、考えが煮詰まって思考停止しているので、何も作業ができていません。
(そんなときにたまたまいろんな人がどんどん前進している話なんか聞いたりすると、ますます無駄に焦ったりもします。)
こうして「何もしない」状況に陥って、わたしはとても居心地が悪くなりましたが、ぼーっとパソコンの前に座ってみたところで何が書けるわけでもありません。
こういうとき、あなたはどうしますか?
・・・わたしが選んだのは、「あえて何もしないことを選ぶ」ということです。
やり切ってみる
人の身体は、一方をやり切ると、反対側に振れるという特徴があります。
たとえばわたしたちは「リラックスしてください」と言われてリラックスしようとしても、リラックスする「ふり」しかできません。
が、一旦全身にギューッと力を入れてからフッと力を抜くと、どこにも無理のないナチュラルな脱力=リラックスが現れます。
なので、「何もしない」をやり切ると、自然とその反対側に振れて、そのときやりたいと身体が感じた何かが出てきます。
そうして「あえて何もしないことを選び」、何もせずに一日過ごしたところ、ふと身体の中から言葉が湧いてきて、今これを書いているという次第です。
役に立たないといけない
で、もう一つ。
これを書いているまさに今、「こんなことを書いて一体誰の・何の役に立つのかな?」というささやきがしのびこんできます。
これが自分にとってのもう一つの罪悪感で、「役に立たないといけない」という感覚。
役に立たないことはやる意味がないというか、やっても意味がないからやらないというか、そんな価値観があるんですね。
だもんで、心の中に何かが湧いてきても、
でも別にそんなの誰も読みたがらないしな
誰の役にも立たないだろうしな
などと頭が打ち消して、心の動きをかき消してしまいます。
役に立つことばかり考えている
こうして自分の素直な感覚を自分で否定しているわけですが、これって結局、自分のことを全然信頼していないということです。
役に立たないことは人に伝える意味がない。
自分の感覚は人の役に立たない。
だから伝えない。
以上証明終わり。
みたいな(^ ^;)
役に立つかどうかを自分一個の頭だけで判断して、自分が考える「役に立つ」の枠組みに当てはまらないことは全部切り捨てて、役に立つ枠組みの外にいる部分の自分は無価値だと思っています。
冒頭に書いた「何もしない罪悪感」もそうです。
何もしていない自分は人の役に立っていない。
だから良くない。
自分にとっての定義では、何かをする=人の役に立つようなことをする、なんですね。
だから何もしない自分を否定するんですが、、、
「生きている自分」信頼してなさすぎ問題
でも、生きている限り、人が何もしない瞬間は一切存在しません。
呼吸をして代謝をして、あらゆる内臓、あらゆる組織が動き続けているので、何もしていないわけではない。
わたしは「生きていることをしている」わけです。
でも、わたしは今、自分が何もしないと思い込んで、ばかみたいに罪悪感を抱え込んでいます。
自分が「生きていることをしている」ことの偉大さを信頼していないんです。
自分で決めた「役に立つ」以外の自分を信頼していないからこういうことになります。
「役に立つ」の定義狭すぎ問題
さらに言うと、そもそも「役に立つ」の定義が狭すぎます。
自分一個の頭で判断した狭い価値観だけで物事を見て、勝手に判断しているわけですが、それはあまりにも井の中の蛙であり、この世界に対する冒とくですらあります。
自分では思ってもみなかったところで、思いがけず誰かの・何かの力になっている可能性だってあります。
なぜ役に立たないといけないのか?
さらには、仮に本当に役に立たなかったとしたって、それでも別にいいじゃん!という話もあります。
役に立たないことがなんでダメなのでしょうか?
それは、役に立たない自分は世間に受け入れられないと思っているからですね。
「生きていることをしている」だけの自分は意味がない、価値がない、人に大切にしてもらえないと思っている。
人に大切にしてもらえることが自分を評価する条件で、その条件を満たせない限り、自分はダメだと思っているんです。
ほら、自分を全然信頼していないでしょう。
大人が赤ちゃんを愛おしく思う理由は
でも、よーく考えてみてください。
そんなふうに思っているのは大人だけです。
生まれたばかりの赤ちゃんは、ただ夢中に生きているだけです。
そんな存在を、わたしたちは邪魔に思うでしょうか?
「コイツは役に立たないからダメだ」と思うでしょうか?
いいえ、ただ夢中に愛しく思うだけですね。
赤ちゃんが自分自身を全身全霊で信頼しているありさまに、大人が感応して、相手を全身全霊で慈しむのです。
自分につけた条件を取り除いてあげよう
わたしたち大人も、もう少し自分を信頼したほうがいいですね。
条件つきで自分を信じる、条件つきで自分を愛するのはもう終わりにしたいなーと、つくづく思います。
そこを信頼できると、自分の中から全然違うものが出てくるし、周囲の人に与えるものも変わってくるんだろうなあと思っているところです。
自分を信頼するには、自分の身体と仲良くなること。
一番効果があって、影響が深くて、変化が早くて本質的なのが、この方法だと思います。
わたしもまだまだ道半ばですが、あなたもご一緒に身体と仲良くなりませんか(^ ^)
自分の身体と仲良くなりたいときは、バランスセッションにいらしてくださいね。
自分の身体からの答えを知りたい方へ
身体の現在地を認識する
心と身体のバランスを整える
身体からのメッセージを受け取る
心身と対話する静かな時間をお過ごしください
あなたの身体がいま動きたいと思っている方向・速度・幅で波を通し、身体の現在地から心身のつながりを深めます
あなたの身体の中にある「今もっとも必要なこと」「いま伸びたいと思っている芽」をそっと後押しします