288-1 ▼ ある親子さんとお話したことから
ある高校生の男の子とそのお母さんとお話させていただいた体験から、思うことを書きました。
男の子は、とても明るく朗らかで、ちょっとお調子者で、愛嬌があって、人当たりの良いお子さんでした。
少なくともわたしにはそのように見えていました。
ところがお母さんは、男の子のことをかなり悪しざまに話されました。
態度が悪い、悪態をつく、暴れる、誰の言うことも聞かない、困りものだ、などなど。
あんなに憎たらしい子はいません、とまでおっしゃるのでした。
男の子にとっては、他人であるわたしといる時と、親子であるお母さんといる時とで、だいぶ状況が変わるのだろうなあとは思いつつ、ちょっと落差が大きすぎるようにも思ったので、
「お母さんとはよくお話するの?あまり話はしないかな?」
と、それとなく触れてみました。
すると彼は、
「・・うちの母親にとって、俺はいないほうがいい、ダメ人間だから」
と言うのでした。
288-2 ▼ 人は鏡のようなもの
相手の目線によって引き出される自分、というものがあります。
それはたとえば、鏡の向きをほんのちょっとずらすだけで、反射する光の角度も位置もまるで変わってしまうようなもの。
息子さんが口にした「ダメ人間」という表現は、お母さんと息子さんの相互の関係性において、お互いに引き出され合い反応し合った中で生まれてきた言葉なのだろうと思います。
わたしの前で明るく朗らかにふるまうのも彼自身だし、お母さんの前で「いないほうがいいダメ人間」とまで感じるのも彼自身です。
人は常に、その場の誰か・何かと反応し合い、お互いに自分を引き出し合っています。
誰と一緒にいるかで、自分という鏡に反射する光は大きく変化するのですね。
288-3 ▼ 人間関係はもっと自由であっていい
もちろん、これだけの場面で安直に親子関係を判断することはできません。
親子だからこそ・他人だからこそ、その関係性の中で表現できること・できないことがありますし、思春期ならではの難しさもあるでしょう。
ただ、こちらのご家族にはちょっと事情があって、お母さんの目には息子さんがかなり悪く映ってしまっているらしいこともわかってきました。
もしかしたら、こちらのご家族は、今は少し距離をとってみるのも一つの道なのかなあ、と思ったことです。
身体の原理原則を知れば知るほど、人は本来とても自由で、常に不定形のものなのだという確信が強くなってきました。
親子だから、夫婦だから、、、という理由で、必ずしも常に一緒にいなければいけないというわけではないのだろうな、と思うようになっています。
ときには離れる、
また時が来れば戻る、
一緒にいたほうがよければ一緒にいる、
そうでなければ別々に過ごす、
そんな過ごし方ができる家族や夫婦や親子の関係があってもいいのだろうな、と感じたことでした。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。
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