自分にとって本質的な幸福の見極め方
人の不幸の大半は、他者との比較から来ている、という説があるらしいです。
自分の肌感覚でも、なんとなくそんな気がしていて
仕事がうまくいかないときなんかは、
つい、うまくいっている(ように見える)誰彼の顔が思い浮かび、
対して自分は・・・ と、
ドヨーンと落ち込むことがあります。
「10万円」の思考実験
さて、いま自分の心を揺らしている悩みは、
本当に自分にとって必要なものなのでしょうか?
それを見極めるために、わたしが参考にしている考え方があります。
たとえば、こんなシチュエーションを考えてみてください。
友達と10人で連れ立って、ある場所に出向いたら、10万円がもらえるという話があった。
で、みんなで行ってみたら、以下のような結果になった。
A. 友達9人は10万円がもらえたが、自分だけもらえなかった
B. 10人全員が10万円をもらえなかった
この状況って、冷静に考えると、
どちらだったとしても自分にとっては何の変わりもないですよね。
「元からなかった10万円が今もない」というだけ。
自分の状況は何一つ変わっていないんです。
それなのに、なんとなく、Aのほうが、なんだか残念で、イヤな気持ちがしませんか?
Bの状況のほうが、まだしも気が楽というか。
比較で心が揺れるものは、本質的な幸せじゃない
もしあなたが、そんなふうに、AとBとで感覚が変わるとしたら、
それは、自分の幸・不幸を他者と比較して決めている証拠です。
もし、他者と比較して幸福度が上がったり下がったりするようなことなら、
それは自分にとって本質的に大切なものではないので、手放していいのだそうですよ。
他者がどうであろうと、自分はそれがあったら嬉しい、なかったら悲しい!
ということがあれば、それがあなたにとっての本質的な幸福の種です。
自分の中の鬼
わたしはよくこの例を思い出して自分を戒めています。
自分の心が揺れたとき、この10万円の例に当てはめて考えてみると、
ほとんどは他者との比較で自分の心が揺れているのがよくわかります。
白状すると、わたしは、自分の仕事がうまくいかないとき、
「あの人も仕事がうまくいってないらしい」と聞くと
ほんのりと満足を覚える心がどこかにあったりします・・・
自分がうまくいかないからといって、人様がうまくいかないことを喜ぶ。
そんな、枯れ野で嗤う鬼のような心も、すべて自分のものです。
それを無理になかったことにしようとするのではなくて、
「いま自分はこんなふうに感じているんだなあ」と
現状を素直に眺めてあげるほうがいい。
そうすれば、身体は自然と、いま自分が動きたいほうに動き、
それをやりきれば、これまた自然と、本来あるべき形に戻っていきます。
鬼をなだめつつ、自分軸で歩く
そもそも、他者と比較して自分の心が変化するとしたら、
先ほどの10万円の思考実験でもご紹介した通り、
それは自分にとって本質ではない、ということになります。
自分が仕事を通して追求するべきものは、そこにはないので
「うまくいく/うまくいかない」の系に立つのをやめたほうがいい。
自分の場合は、
・今日の文章を本気で書いたか?
・クライアントさんのお話を本気で聞いたか?
・自分の感覚を嘘いつわりなく言葉に落とし込んだか?
という世界線での身ごなしを大切にしようと決めています。
自分の中の鬼をなだめつつ、共に歩く。
人生って、そんなものかもしれないな、とも思います。
他者との比較ではなく、自分の身体がありたいように生きていくためのコツは
この講座で読めます。
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それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。

