682-1 自発的なコミュニケーションのために
前回はこんな記事を書きました。
強度行動障害の予防のためには、ご本人が自発的にコミュニケーションを取れることが大切だという話でした。
強度行動障害の状態まで行かなくとも、コミュニケーションがうまくいかずに苛立ちや不安、居心地の悪さを抱えている人は大勢います。
自分の思い、意思、感情を表現すること、他者に伝えること、他者に受け取ってもらえることが、社会の一員として健やかに生きるためにいかに大切か、改めてよくわかりますね。
コミュニケーションというと、言語を介したものを真っ先に想定されるかもしれませんが、発語がない、または少ない方のために、絵カードなどの代替コミュニケーション手段も広く選択できるようにしておきたいものです。
682-2 代替コミュニケーションは是か非か
ところで、代替コミュニケーションの支援に馴染みすぎると、言語の発達が阻害されるのではないか、発語が減るのではないか、と懸念される方は少なくありません。
一般社会では絵カードを使わないのだから、支援の場でも極力使うべきではないと考える先生もいらっしゃいます。
その一方で、絵カードを使うことはむしろ言葉を増やすきっかけにもなると言われる先生もおり、どちらが正しいのか、迷われる親御さんもいらっしゃるのではないでしょうか。
ご本人の発達特性や周囲の環境、関わる人々の都合や事情によって、支援の最適解はそのつど変化していくものと思いますが、身体の原理原則から見た代替コミュニケーション支援を考えてみます。
身体の原理原則では、身体の現在地から出発したものは自然に発展していくけれども、現在地以外の理想や観念から出発したものはただの繰り返しになります。
言語がうまく使えないという現在地にある人には、その人にとって言語よりももっとハードルの低い一歩があるとしたら、そちらを選択するほうが身体の流れに沿っているということになるでしょう。
682-3 言葉の芽をとらえるツールに過ぎない
言葉を教えるのがうまい人は、相手の中にある「言葉の芽」をつかむのがうまい人だと思います。
「言葉の芽」は、仕草、表情、目線、手の動き、かすかな音など、さまざまな形で現れます。
この「芽」をとらえることができるならば、音声言語だろうと絵カードだろうと、ツールは何でも良いのだろうと思っています。
コミュニケーションの本質は相互のやりとりであり、言語や絵カードといったツールは、いわばやりとりの乗り物です。
A地点からB地点まで行くのに、徒歩でも自転車でも自動車でも行けます、自動車で行けば早いけれど、歩けば景色がよく見えますよ、というような話に近いのではないかと思っています。
適切な意思表示ができずに行動障害に陥るまで苦しんでいる人がいるなら、絵カードでも何でも使って、まずは現時点でのコミュニケーションをはかり、最初の一歩をともに踏み出してみるのが良いのかなあと思います。
本日は以上です。
次回の配信は8/15(月)です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。