最近、他者の評価に左右されて、自分の「今」を見失っている人が、ものすごく多いと感じています。
他者に評価されないことでみなさんものすごく悩まれているのですが、、、
そもそも、その悩み、方向性が違うよ~
という違和感が強烈にありまして。
その方向性で進む限り、おそらく永遠に幸せにはなれないので、別の方向性に切り替えませんか?
という話をしたいなと思います。
というわけで今回は、
他者に評価されない悩みを解消するには、これしかない。
と、三輪堂が確信している方法について書いてみます。
自分が行動していることが大前提です
まず大前提として、身体の原理原則では、行動することが大事です。
人は動物、すなわち「動く物」であり、動くこと・行動することが生きる本質です。
じっと座って頭の中で考えを転がしているだけで自分の願いが全部叶うとか他者にめちゃくちゃ評価されるとか、そういうことは基本的にないので、そこは押さえておきましょうね。
だから少なくとも、他者に評価されなくて悩んでいる人は、自分が行動しているかどうか? をまず確認してほしいのです。
もしあなたが行動していなかったとしたら、評価されないのは当たり前というか、そもそも評価される土台にも乗っていないので。
意外とこの段階で勘違いしていることもあるので、ちょっと冷静に自分を振り返ってみてくださいね。
で、これ以下の文章は、「あなたはちゃんと行動している」という前提で話を進めますね。
評価の対象を間違っていませんか
さて、あなたは明確に行動をしていて、他者に評価されないことを悩んでいるとします。
このときに大事なのは、評価とは何か? ということ。
身体の原理原則で捉える「評価」とは、すなわち、
行動したことを評価するのであって、行動の結果に対する評価は関係ない
ということです。
これが結論です。
これが腹落ちすれば、あなたの悩みは次元が変わります。
評価されないと意味がない??
そもそも、現代を生きるわたしたちは、あまりにも評価を求めすぎています。
評価されないからやめるとか、評価されないから落ち込むとか、評価されないから意味がないとか。
評価を気にするあまり行動が制限されてしまってすらいます。
それは、身体から見ると、ちょっと偏った反応です。
というか、「意味がない」って、自分の行動に対して、すごく失礼な言い草だと思いませんか?
自分が行動した事実すべてをひっくるめて「意味がない」と片付けるとは。。。
しかもその理由が、他者の評価という曖昧な基準だというのですから。
自分がかわいそうすぎますよ (T_T)
行動の選択の仕方
ここでは、根本的に見方を変える必要があります。
まず、行動すること自体に自分の意味を置いたほうがいいですね。
そのためには、
その行動をしているだけで楽しい・充実している・満足している
そういう行動を選択するべきです。
他人から評価されようがされまいが関係なく、それが楽しいからやる、というのが、身体的な「行動」です。
ここの段階でズレちゃってる人も結構いて、「仕方なく、義務でやっている」「お金になるからやっている」「やったほうがいいと思うから(本当はやりたくないけど)やっている」という類の行動は、身体が望む行動ではありません。
仕事でどうしてもやらなければならない、といった状況もあるとは思いますが、理想を言えば、そういう行動はできるだけ減らしていって、「楽しいからやる」行動の比率をどんどん上げていくのが正解です。
【 それを夢中になってやっていたら自然と周囲から評価が集まった(が、本人は気にしていない)】
これが、行動と評価の関係性の、本来の姿ですね。
他者の評価の力を借りるべきときもある
他者の評価から自身の行動を修正したほうがいいときも、もちろんあります。
それはたとえば、自分にとって人生をかけて実現したい大きな志に向かっている、といった場合です。
たとえば、東京から北海道に行く方法っていくつもありますよね。
飛行機に乗るのか新幹線に乗るのか、飛行機だとしたらどの航空会社のどの便で行くのか、とかとか。
でもそれはすべて、北海道に行くという目的を叶えるための、手段の変更に過ぎません。
Aの電車が不都合で動かなかったらBのバスに乗り換える、みたいなことも、わたしたちはごく普通にやってますよね。
こんなふうに、大きな志に向かうために、Aの行き方がうまくいかなかったらBの行き方に変える、ということは、あってもいいんです。
人は自分の姿を自分で見ることがとても難しいので、自分の姿を見直すためには、他者を鏡として、他者から反射してくるものをキャッチするしかありません。
志に向かう道のりが、どうも世の中と合っていないとか、人に喜ばれていないとか、自分が頑張り過ぎて苦しいとか、そういう場合は、別の道のりを選んだほうが、世の中も自分も嬉しいですよね。
そういうときには、他者の評価の力を、虚心坦懐に借りればいいんです。
行動の主導権を受け渡してしまうと生きづらくなる
これがうっかり行き過ぎて、他者の評価に自分の行動の主導権を受け渡してしまっているのが、多くの人の現状です。
北海道に行くにはAよりもBの方法のほうが早いし楽だよ! と手段を変更するのは全然アリなのですが、
いつの間にか手段が目的にすり替わっていたり、他者の評価に押されて目的地が北海道からハワイになっていたり、なんてことまであったりします。
評価されるからやる。
評価されないからやらない。
評価されるから自分は素晴らしい。
評価されないから自分はダメだ。
これでは、あまりにも生きづらいと思いませんか。
自分の意思でコントロールできるものを見る
わたしたちは、自分の意思でコントロールできることだけを自分の心のステージに上げるべきです。
行動そのものは、自分の意思でコントロールできますが、他者の評価は、自分の意思でコントロールできません。
自分の意思でコントロールできないものに自分の主導権を委ねるのは、不幸まっしぐらです。
他人の言いなりになって生きるしかなくなるわけですから。
大事なのは、自分が何をしたか(行動)、何をしたいか(志・目的地)、です。
他者の評価は、繰り返しますが、それを鏡として自分を振り返りたいときにだけ、力を借りればいいと思います。
どうしても難しいときはバランスセッションにどうぞ
それでも、どうしても、他者の評価が欲しい気持ちを手放せない。
「行動している自分」というだけでは満足できない。
そんなときは、どうぞ三輪堂のバランスセッションにいらしてください。
バランスセッションは、あなたの身体と心の現在地をひたすらに見つめる時間です。
その時間そのものにも、あなたの心と身体を整える効果があるのはもちろんのこと、
どうすれば「他者の評価軸」から「自分の行動軸」に移行できるか、あなたの身体の現在地からご提案できます。
詳しくはこちらをどうぞ。