852-1 説教くさい大人が大嫌いだった
わたしは小さい頃、説教くさい大人が大嫌いでした。
小学生くらいになると、よく、いろいろなことの「振り返り」をさせられます。
運動会の振り返り、委員会の振り返り、図画工作の作品鑑賞会の振り返り、〇〇の学課の振り返り、などなど、今でもかすかに覚えています。
わたしはこの「振り返り」に、良いことだけを書いていた記憶があります。
当時は、先生に提出するものに悪いことを書くなどという発想は微塵も浮かびませんでした。
なぜなら、悪いことを書いて、先生にお説教や、「次はこうしたらいいよ」的なありがたいご託宣をいただくのが嫌だったからです。
852-2 自分も説教くさい大人になっていた!
とにかく大人が決めた枠から出ないように、レールをはみ出さないように、先生にとっての良い子でいられるように、ほぼ無意識に我が身を律していました。
運動会なんて死ぬほど嫌いだったのに、どうやって良いことをヒネリ出していたのか、全く覚えていませんが笑。
「みんなががんばっていてすごかった」みたいな、なんの意味もない言葉を書き並べてお茶を濁していたのかもしれません。
そして自分も大人になった今、自分がかつて毛嫌いしていた「説教くさい大人」になっていることに気づいて、ハッとする瞬間があります。
子供の話を最後まで聞かずに、自分の言いたいことだけを押しかぶせるようにして言ってしまったり、子供に自分の意見を整理する時間を与えずに、自分の意見を提案してしまったり(それは結果として指示に等しい)。
気づくたびに、説教くささを手放すチャンスだと捉えて、行きつ戻りつしながら、どうにかこうにかやってきました。
852-3 そこにいてくれるだけでいい
それで気づいたのは、大人は、子供に何かを言う必要はないんだな、ということです。
ただ相手の話を聞いて、そばにいて、見守っているだけでいいんだな、と。
求められたときには、アドバイスをするなり、手を貸すなりしますが、それ以外は基本的に大人はただそこにいてあげるだけでいい。
それだけで、子供は自分で自分を育むことができます。
もちろんその土台には、お互いの信頼関係や、必要最低限の危機管理、心身に危険の及ばない安心感など、目に見えない根っこがはりめぐらされていると思いますし、より細やかなサポートが必要な関係性もあるだろうと思います。
でも、人と人の関係性は、基本的には「そこにいてくれるだけでいい」というものなんだろうなと、そんな気がしているところです。
本日は以上です。
次回の配信は4/3(月)です。
それでは、また。
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