こんにちは。三輪堂です。
面白く生きる連載、74通目です。

74-1 ▼ Mさんのご相談

ある療育施設の先生からご相談をいただき、今日はそのことからの連想で書かせていただきます。Mさん、コミュニティでのシェアをご快諾いただき、ありがとうございます。

Mさんは、療育施設の長でもあり、また児発管さんとしてもお仕事をされています。
日々、子供たちのケアをする、親御さんのお悩みにもお答えする、施設で働くスタッフさんのサポートもする、地域や役所とのやりとりもする、という形で、獅子奮迅のお働きをなさっています。

ご自身が関わる子供たちや大人たちの支えになるべく、精一杯頑張っていますとのことでした。
書いてくださった文章からも、本当に目の前の方に誠実に接しておられるのだろうなということが伝わってきました。

74-2 ▼ 頑張り切れなくなってしまった

ところで、Mさんは、ある出来事をきっかけに、ご自身のお仕事の仕方がよくわからなくなってしまったとのこと。

「一生懸命に取り組んできたつもりだけれど、本当にこれでよかったのか」
「自分が何を目指したいのかわからなくなってきました」

施設を利用する方々のお手本になれるようにという願いで頑張ってきたけれど、今はなんだか頑張り切れない気持ちでいらっしゃるそうです。

Mさんはきっととても責任感が強くて、誠実で、愛情深い方なんだろうなあと感じます。

74-3 ▼ 立派な自分だけがお手本になるのではない

Mさんのように、人にお手本を示すべき立場に立っておられる方は少なくないと思います。
でも、そういう立場にあるからといって、いつでも立派で、順調で、穏やかで落ち着いていて、笑って物事に対処できるような、そんなすごい様子ばかりを見せなければいけないなんてことはありません。
時には失敗したり、落ち込んだり、泣いたり怒ったり、そんな様子も見せてこその人間だと思うのです。

すごい人であらねばという思いで作り上げた自分像よりも、自分が今まさにこういう状態であるという「現在地」をそのまま見せることのほうが、相手に伝わるものが大きかったりもします。本当の意味での「お手本」とは、そういうことなんじゃないかなあと思ったりもするのです。

たとえば瀧本の父は、大酒飲みで、いつも酔っぱらっては人に絡んだり人を馬鹿にしたりするような人で、娘としてはあまり好意を感じられない父でしたが、彼が他界した時、わたしの胸をよぎったのは【感謝】と【許し】でした。
生前の父は控えめにいってもロクデナシでしたが(苦笑)、彼は自分の一生をかけて、娘であるわたしに大切な何かを残してくれました。

人はどんな姿の時も相手に何らかの学びを伝えることができます。
「立派な姿の自分」だけがお手本になるわけではありません。

時には肩の力を抜いて、頑張りすぎず、素のままの自分を皆さんにお見せしちゃうことも、大事なのではないかなあと思っています(^ ^)

 

本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。