駅前で演説をする人々
わたしが利用する駅には、駅前に大きめの広場があって、そこではしょっちゅう、誰かが何かを訴えています。
政治家の演説、署名活動、保護犬・保護猫の募金活動などが多いのですが、演説常連メンバーの中に、ちょっと変わった人がいます。
それは、中年の女性で、いつもお一人でマイクを持って演説をなさっているのですが、わたしはこの人がすごく苦手です。。。
その駅を通りかかった瞬間に(うわあ、またあの人がいる・・・)と思っちゃうくらいには苦手。
相手を責める声
主張の内容は、政治や社会に対する不満がほとんどのようですが、そのへんは一旦脇に置くとして、
わたしが何より苦手なのは、この人の声です。
すごく憎々しげな、はっきり言って、嫌な声。
世の中に対する怨嗟の念というか、恨みつらみがこもっている気がします。
相手を責めていることがはっきりと伝わってくる声。
この声を聞いた瞬間に、自分の身体が緊張して、防衛反応が出始めます。
この人のエネルギーを受け取らないようにガードする感じになってしまうんです。
朗らかに自己主張する
この人は、公共の場に立っているからには、ちゃんと警察や駅に許可を取って、正規の手順を踏んで演説をしているはずで、
だから、文句を言う筋合いはまったくないんですが、
もっと朗らかに自己主張できないものかな、と思います。
療育の現場でも、子供たちのコミュニケーションの練習として、お互いの主張を言い合う/聞き合う練習をすることがあります。
こういうときは、
・わかりやすく整理して話す(内容)
・言うべきときに臆せず話す(タイミング)
といったところに練習の力点が置かれることが多いのですが、それをクリアした後の段階の子供たちにとって、一番大事なのは、
「朗らかに自己主張する」こと
なんです。
自分の願いを聞き入れてもらいやすくなる
自己主張とは、相手を責めるものでもないし、自分の泣き言をいうものでもないし、自分の言いたいことだけを言い捨てることでもありません。
言うべきことは言いつつ、お互いに妥協できる地点を模索していくものです。
それができれば、自分の願いを人に聞き入れてもらいやすくなるし、結果として自分の願い通りの世界を創造することにもつながります。
・・・と、書けば簡単ですが、
これって本当に難しいことなんだな、と、駅前に立つ くだんの女性を見て、つくづく思うのであります。
うまくいかないときは
暮れなずむ駅、家に帰ろうとする人々の波。
誰ひとり彼女の話を聞いているようでもなく、みんな足早に通り抜けていきます。
たった一人で街角に立って、自分の恨みを世の中に投げかける女性の心の中には、どんな風が吹いているのでしょうか。
自分の世界を自分で創る。
これが三輪堂の情報発信のテーマですが、世界に対する発信の仕方を一歩間違うと、何もかもが嚙み合わない世界を創ってしまうこともあります。
もし自分が、「何かがうまくいかない」「なんか違う気がする」と感じるなら、
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自分は朗らかに自己主張できているか?
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を、見直してみるべきかもしれないな、と、我が身を反省したことでありました。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。

