こんにちは。三輪堂です。
面白く生きる連載、221通目です。
221-1 ▼ 響きを伝える
今日はクリスマスですね。
皆さんはどんな一日をお過ごしでしたでしょうか。
あなたにとって穏やかな心地よい一日であったらいいなと思っています。
さて、昨日は、成人の方への支援の原則として「言葉に頼りすぎない」ということを書きました。
身体に触れることは、お互いの内側にある響きを伝え合うようなものです。
その響きを音に乗せて共通の意味を付与したのが言葉です。
だからこそ、その大元の響きを伝えあうという意味では、言葉で話し合うよりも、身体に触れるほうが早いです。
221-2 ▼ 触れるというコミュニケーション
たとえば、同じ肩に触れるのでも、ドンと小突かれたら、驚いたりムッとしたりするでしょうし、ポンポンと優しく叩かれたら、励ましや優しさを感じるでしょう。
このコミュニケーションをもっと繊細にしたのが、昨日お伝えしたような身体の触れ方です。
身体に触れるときには、自分の思いは全て伝わりますし、相手の思いも伝わってきます。
(そうかしら、何も感じないけどなあ・・・)
と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これは単純に慣れの問題だったり、どこまで繊細に受け取るかの問題だったりします。
221-3 ▼ 使いこなせるようになると
これは言葉でも同じで、一つの表現からどれほどの情報量を受け取れるかは差があります。
たとえば「秋の夕暮れ」という言葉を聞いたときに、どんな情景を思い浮かべるか、どんな感情が湧き起こるかは、その人の人生経験によって大きく変化しますよね。
触れることも同様に、身体の声を聞くことに慣れてくるほど、受け取れる情報量は増えてきます。
触れることは何も難しいことではなく、わたしたちが言葉を使いこなしているのとほとんど同じようなツールとして関わり合うことができます。
むしろ、言語に翻訳せずに「大元にある響き」を伝え合える分、慣れればこちらのほうが便利でスムーズですらあります。
さて、そんな「触れること」ですが、特に「頼む、頼まれる」といった文脈で触れ合うときには、ぜひ心に留めておいていただきたいポイントがあります。
明日はそのあたりをお伝えしますね。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。