こんにちは。三輪堂です。
面白く生きる連載、179通目です。
今回は、「相互循環」という概念の中にある、人間関係の原理原則についてです。
179-1 ▼ 相手によって全く違う響き合いが起こる
相互循環セッションとは、「相互に循環する」セッションという意味です。
やる人・受ける人の「相互の循環」によって起こる響き合いが相互循環セッションのカギなので、誰の身体に触れるか、誰に触れてもらうかで、全然違う体感が起こります。
でも、どのセッションも楽しく、心地よい。
それが相互循環セッションの良いところです。
人間関係も同じですね。
ためしに、パートナーと一緒にいる自分、子供と一緒にいる自分、職場の同僚と一緒にいる自分、一人で部屋でゴロゴロしている時の自分を想像してみてください。
どの自分も、微妙に違う自分像になりませんか。
このようにわたしたちは、誰と一緒にいるかで全く違う響き合いを起こしています。
相互循環セッションはそれを身体ではっきりと教えてくれます。
179-2 ▼ 「正しい」は存在しない
わたしたちは原則的に、自分一個の存在だけで生きているということはあり得ません。
室内に一人だけでいる時でも、身の周りにモノがあります。室内という空間があります。身に着けている衣服があります。
もっと微細に認識していけば、身体の皮膚、骨、筋肉、内臓、呼吸、思考などなど、身体そのものをバラバラに分けていくこともできます。
一歩外に出れば、そこにはもう無数の人がいます。明らかに、自分一個だけで生きてはいないということが見えてきますね。
こういう世界を生きている時、自分の在り方だけを捉えていると、ベストな選択肢が見えなくなります。
わたしたちはつい、「何が正しいか」という答えを探しがちです。
でも、相互循環セッションを通して体感できるのは、自分だけの「正しい」は存在しないということ。
あるとすれば、「相手との関わりの中における、より適切な対応」、といったもののみです。
179-3 ▼ お互いの関係性の中での最適解
セッションをする側だけの正解というものも存在せず、セッションを受ける側だけの正解というものも存在しない。
あるのは相手との関係性だけ。
療育や人間関係に置き換えても全く同じことが言えます。
Aさんにはうまくいった支援がBさんにはうまくいかないのは当たり前。相手との関係性が違えば、最適解もまた変わってくるからです。
療育がうまい人というのは、この関係性をよく捉えて、自分の関わり方を微妙に変化させているのでしょうね。
もしあなたが人間関係(療育、育児、仕事、パートナーシップ等)でぶつかり合ったり困ったりすることがある時は、自分だけで反省するのでも、相手だけを非難するのでもなく、「お互いの関係性の中での最適解」は何か、ということを考えてみてください。
そうは言っても、どうももう一つピンと来ないなあ、という方は、ぜひ相互循環セッションにお越しください。ご自身の身体の反応で、そういうことか!の納得が得られると思います。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。