892-1 感情を縛るもの
親御さんのお話を伺っていると、「その方の感情を縛るもの」の存在を感じることがあります。
たとえば社会的な目線や、その方自身の価値観、良心、生きる上での美意識のようなもの。
本当はこう思っているけれど、素直にそうは言えない、という何かです。
本当はこう思っているけれど、社会的にどう思われるかわからないから言えない。
自分の美意識に反するから言えない。
誰かに・何かに遠慮して、どこか素直になりきれない、そんな気配を感じます。
特に、お子さんを可愛いと思えないとか、お子さんの現状を良いと思えないとか、育児にネガティブな感情を持ったときに、
(でもそんなことを言ったら、親としてどうなんだろう)
そんな遠慮が生まれるようです。
892-2 「ありのまま」の落とし穴
昨今では、ありのままの姿を認めることが良いとされる風潮があります。
わたしも基本的にはそれに賛成です。
身体の原理原則は、自分の現在地を認識するところから始まりますから。
ただ、育てにくいと感じる子を育てる親の気持ちは、そうシンプルではないとも思います。
ありのままの我が子を認めたい、認めるべきだ、と思ったとしても、やはり
–もっとこういう子だったらよかったのに
–もっとこういう子だったら、自分の親としての人生も違うものになっていただろうに
こうした思いが脳裏をかすめることだってあるでしょう。
でも、それはなぜか口に出しにくい。
「ありのまま」を無条件に礼賛すると、「ありのままを喜べない自分」が排除されます。
892-3 感情は自分のものだから
どんな思いが心に湧いたとしても、それを否定する必要はありません。
この子は育てにくい子だ、自分の理想とは違う子だ、と思うなら、素直にその思いを抱きしめてあげてください。
自分の感情を、誰に遠慮しなくても大丈夫です。
ただ、自分の理想の育児像を、お子さんご本人にぶつけたり押し付けたりするのは、できれば避けてあげてほしいなと思います。
子供は子供自身であって、親の持ち物ではありませんから。
自分の思いを尊重するなら、相手の思いも尊重しましょう。
自分の思いは、自分一人で抱きしめるか、信頼できる第三者にシェアしましょう。
一人で抱えているのが辛いときは、三輪堂もいつでもお待ちしています。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。
誰かに話をしたい
誰かに受け止めてもらいたい
自分の考えを整理したい
自分で自分を大切にしてあげたい
そんなときは