866-1 内臓の一つひとつが働いて人体を作るように
前回の続きです。
今の段階では、「本来の自分」とは、内臓の一つひとつがそれぞれの働きをするようなものではないかと想像しています。
心臓は心臓の、胃袋は胃袋の働きをまっとうすることで人体がつつがなく生命を維持するように、
AさんはAさんの、BさんはBさんの働きをまっとうすることで、大きな「人類全体」とでもいうべき集合体がうまく動いているのではないか、、、
と仮定して、世の中を眺めてみています。
こう考えると、人それぞれに違いがある理由がわかります。
866-2 心臓も赤血球も
なりたい自分をイメージするとき、ほとんどの人は花形プレーヤーを目指しますが、そのように活躍できる人はわずかですね。
オリンピックでメダルを取れる人は一握りで、ほとんどの人はそこには至りません。
わたしも、かつて、花形プレーヤーに憧れました。
でも、どうやら自分の役割はそういうものではなかったようです。
花形プレーヤーが人体でいうところの「心臓」だとすれば、自分のような市井の一個人は「赤血球」のようなものでしょうか。
心臓は一つしかなく、生涯を通して生命の維持に直結する臓器です。
一方、赤血球は、1日に2000億個くらい作られて、4カ月くらいで消費されます。
自分が2000億個のうちの1個だと思うと、取るに足らない存在のような気もしてきますが、そんなことはありません。
赤血球の1個がどう過ごしていても人体の大勢には影響しないかもしれませんが、その赤血球は間違いなく、必要だからそこにあります。
(たぶん「同規格のものがたくさん存在する」状態が必要なのでしょうね。)
866-3 それぞれの役割
学校の1クラスの中を見てみても、勉強のできる子、運動の得意な子、物静かな子、ケンカばかりする子、周囲についていくので精一杯な子、いろいろな子がいます。
この中の誰かは重要で、誰かは重要でない、なんてことがあるでしょうか?
この子は勉強が苦手だから、足が遅いから、発達がゆっくりだから、そうでないあの子に比べて劣っているのでしょうか?
いいえ、決してそんなことはありませんね。
わたしもかつては、花形プレーヤーをうらやみ、そのようになれない自分を卑下していましたが、今は、赤血球である自分を残念に思いはしません。
赤血球も間違いなく役割なのですから。
たとえば、赤血球が心臓になりたがって頑張り始めたら、どうなるでしょう?
と、今日はこのあたりで、続きは次回に。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。