865-1 なりたいものになりたがる
昨日はこんな記事を書きました。
彼らの洋々たる未来に幸あれと祈るばかりです。
同時に思うのは、みんな「なりたいもの」になりたがるんだなあ、ということです(なりたいものなど無いと言い放った硬骨の少年もいましたが) 。
子供の頃からこうやって、半ば大人たちの促しもあって、自分のなりたい姿を設定して、それを目指して努力することが当たり前になっています。
あなたはどうでしたか?
小さい頃に「なりたいもの」がありましたか?
今は、その「なりたいもの」になっていますか?
実は、わたしはずっと「なりたいものがわからない」ことで悩んでいました。
865-2 なりたいものと向いているもの
「なりたいもの」があれば、そこに向かって努力できます。
でも自分は「なりたいもの」がわからなかったので、何をどう頑張ればいいのかわかりません。
さらに、「なりたいもの」を探すかなり早い段階で気づいたのは、「なりたいもの」の他に「向いているもの」もあるらしいということです。
小学生のわたしが無邪気に「〇〇になりたい」などと口にすると、親が無情にも「そんなの無理だよ」「お前には向いていない」などと返してくるわけです。
それをはね返す強さがあったら違ったのかもしれませんが、大人の言うことはすべて正しいと思い込むタイプでしたので、もう途方に暮れましたね。
じゃあ、何ならいいんだろう?
自分には何が向いているんだろう?
自分がなりたいもの、目指すべきところを見つけるために、自分に向いているものは何か、を探す長い旅の始まりでした。
865-3 今の段階での結論は
今では、「なりたい自分」と「本来の自分」は違うことが多い、と解釈しています。
どちらを目指しても、結果どうなったとしても、自分が納得していれば全部OK!です。
「なりたい自分」が見つからなかったわたしは、ずっと「本来の自分」のほうを知りたいと希求していました。
今でもそれは変わりません。
現在わたしのすべての情報発信は、育児療育であれ大人のお悩みであれ、何についても、「本来のその人」を核に置くことを第一にしています。
小学生だから〇〇ができるようにならなくては、と考えるのではなく、その子自身が今どんな発達段階にいるか、その子の身体がどんな状況かに立ち戻って支援しよう、ということです。
今の段階では、「本来の自分」とは、内臓の一つひとつがそれぞれの働きをするようなものではないかと想像しています。
続きは次回に。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。