531-1 ▼ 相手と比較しては落ち込んでいた頃
わたしが小さい頃からずっと悩んできた感情の一つに、「劣等感」があります。
記憶にある限り最も幼い頃から、いつでも、自分と周囲とを比較していました。
相手と比べてダメな自分を否定したり、相手を羨んだりしては落ち込み、
時にはその逆に、相手の中に自分よりダメな部分を見つけては優越感に浸ったり、していました。
自分に自信がなく、誰かと比較することで、なんとかして拠り所を見出そうとしていたのでしょう。
常に人の顔色をうかがって、オドオドとうつむいていました。
531-2 ▼ その反動で攻撃的になった頃
子供の頃は、比較しては落ち込むことがほとんどでしたが、だんだん大人になってくると、比較しては「なにくそ!」と奮起して頑張る道を選ぶようになりました。
で、それなりに結果も出ました。
自分が羨ましいと感じる誰かに追いつくために努力して、実際に結果が出せるようになると、それが多少の自信にはつながりました。
この頃は、「欲しいものがあれば努力して勝ち取ることが正義」という価値観で過ごしていたので、非常に気の強い、人当たりの荒い人間になっていました。
頑張らずに立ち止まっている人を見ると誰彼構わず発破をかけたり、内心で軽蔑したり。。
そうやって自分に鎧を着せていても、自分より上の存在は常にいます。
劣等感は、時には相手への反発や嫌悪にすらつながるほど、強くなる一方でした。
531-3 ▼ 比較を手放しつつある今
さらに年齢が進んでようやく、相手と比較しているうちはこの劣等感は消えない、本当の自信は身に着かないということがわかってきました。
社会的にも、なりふり構わず頑張ることが正義だった時代を過ぎて、ありのままの自分で生きることがメインストリームになりつつあって、そんな時代の流れも後押ししてくれたと思います。
でも、相手と比較しないでありのままの自分を受け入れるって、どうすればいいの?
ということがずーーーっとわからなかったのですが、、、
ここ最近、ようやくそれが、自分の腹に落ちてきたように思います。
その方法はものすごくシンプルで、いつでも自分の隣にあったのに、全く気づいていなかったのでした。。
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誰にとっても、自分の内側にあるものとバランスを取る方法はきっとあると思います。
もし今あなたが、ご自身の内側にあるもので悩まれていて、三輪堂がお力になれそうなら、どうぞメッセージくださいね。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。
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