こんにちは。三輪堂です。
面白く生きる連載、216通目です。
216-1 ▼ 正論は人を救わない
ある方が「争う相手に逃げ道を残してあげる」ということを書かれていて、それを読んでふと思ったことがあります。
それは、
【正論は人を救わない】
ということ。。。
わたしも、若い頃は、相手を正論で叩きのめしては、禍根を生みまくっていました。。。
それが「正しい」と思っていました。
療育でも、正しい知識がありさえすればうまくいくと思っていました。
療育がうまくいかないご家庭があるのは、知識が足りないからだ、と思っていたのです。
216-2 ▼ 「正しい」があると
でも、正しく知識を伝えようとしても、うまく伝わらないし、先方も違和感がありそうだし、療育も結局うまくいかないのです。
そもそも伝えた知識通りに実践できる人が少ないのですね。
当時は理由がわかりませんでしたが、今ならわかります。
「正しい」に意味はありません。
あるのは、その人が、その時、その場で、どう在るか、ということだけ。
「正しい」があると、「間違っている」も生まれてしまいます。
自分がうまくいかなかったのはそこでした。
自分だけの「正しい」しか見ていなかったから、それ以外が全部「間違っている」になってしまっていました。
216-3 ▼ その人・その時・その場のベストポジション
身体の原理原則では、正しいも間違いもありません。
ある人のある瞬間にはこのやり方がマッチしても、別の人には別のやり方がマッチするし、
同じ人でも、今はこのやり方が良くても、別の瞬間には違うやり方のほうがより合うことがあります。
育児や療育もそうですよね。
こういう行動をとる子にはこういう働きかけを検討すると良さそうだ、という大枠はもちろんありますが、それがすべて当てはまるわけでもないし、「誰が・誰に」伝えるかとか、その場の人間関係でも変わってくるし、その子の体調や環境やらの状況でも変わってくるし・・・
正しいも間違いもない、
ただあるのは、その時のその子と、ご家族の未来と、関わる人たちの心身の、それぞれのベストポジションでしかない、
ということなのですね。
これを常に追求していける療育支援者でありたいと願う年の暮れでした。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。