こんにちは。三輪堂です。
面白く生きる連載、181通目です。
181-1 ▼ 自分の中にあるものと同じものを見ている
昨日は、まずは相手の良い面を見よう、と書きました。
相手の良い面を見るということは自分の良い面を見るのと同じです。
というのは、人は、相手から何かを見ようとする時、自分の中に同じものが存在していないと見えないからです。
たとえば、算数の先生なら、解答用紙に書かれた数式の良し悪しがわかるでしょうし、書道の先生なら、お習字の筆運びの良し悪しがわかるでしょう。
どちらも、その分野の専門的な知識が自分の中にあるからこそ、相手の中にある良い点・悪い点が見えるわけです。
またたとえば、療育で出会う、人の気持ちがわかりにくいお子さんは、ほぼ100%、自分自身の気持ちもうまく捉えられていません。
自分の中に「嬉しい」「悲しい」が鮮明にビジョンを結ぶからこそ他人の気持ちがわかるので、自分の中にそのビジョンがなければ、人の気持ちなどわかりようがありません。
181-2 ▼ 感じようとする質感を自分の身体から引き出している
これは思考の側から見た解釈ですが、同じことは身体の側からも言えます。
たとえば、わたしたちは、テーブルが「平たいこと」を感じようとする時は、手を平たくして天面に触れるでしょう。また、同じテーブルが「硬いこと」を感じようとする時は、指の関節の硬いところをコンコンと当てるでしょう。
こんな風に、わたしたちは、相手から感じようとする質感と同じものを、自分の中から引き出して感じようとするのです。
ですから、相手の良いところが見えたということは、自分の中からその良いところを引き出して感じたのと同じことになります。テーブルの硬さを、指をコンコンと当てて感じたようにですね。
181-3 ▼ 原理原則を味わってみてください
こうやって、相手と自分とがお互いに影響し合い、何かを引き出し合って過ごしているのが、この世の中の大きな仕組みのようです。
今までも、自分を立てることが大事だとか、世の中に起こることは自分の内側にあるものの反射だとか、色々な表現で書いてきましたが、それらはすべて同じ原理原則に基づいています。
人というものは、本来の可動域を超えるような無理はしないほうが良いようにできているので(関節が動く範囲を超えて動かしたら骨が折れるし、許容範囲を超えた罵詈雑言にはメンタルがやられますよね)、目に見えない原理原則に対しても同様に、その範囲内に収まるような在り方で過ごしたほうがいいに決まっています。
その原理原則を活かした施術が、相互循環セッションです。
忙しく過ごしているとつい無理をして、範囲を超えてしまいがちな身体の原理原則を、思い出し、自分の身体から引き出すために、どうぞ相互循環セッションを体験してみてください。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。