こんにちは。三輪堂です。面白く生きる連載、257通目です。
257-1 ▼ 余力を言い換えると
いろいろと言葉を尽くして書きましたが、要するに「ギリギリまで頑張るとしんどいから、ちゃんと休もうね」と言えば、ひとことで済んでしまう内容ではあります。
でも、これたぶん、支援者の方や療育施設の先生などは激しく同意してくださると思うのですが、「育児としっかり向き合うためには休むことが大切だから、お母さんもちゃんと休んでくださいね」と言って、親御さんが実際にちゃんと休むかというと、ほとんどの人は休まないんです。
でも、「余力は大事」という表現にしてみると、受け取り方がちょっと変わってくる。
257-2 ▼ 伝え方を変える
「育児としっかり向き合うためには休むことが大切だから、お母さんもちゃんと休んでください」
「パフォーマンスを上げるためには生活にあそびの部分が必要だから、必要なプロセスとして余力を確保してください」
どうでしょう。
どっちも「休んでね」と言ってるのは同じなんですが、全然印象が違いますよね。
聞く人によってどちらの表現のほうが受け取りやすいか、スッと胸に伝わってくるかは票が割れるでしょうが、両者がまるで違った雰囲気で聞こえるのはどなたにも同意していただけると思います。
こうして「伝え方を変える」というのも、療育の知恵です。
相手との関係性に応じて、相手の受け取りやすさに応じて、こちらからの伝え方を変える、ということ。まさに「療育的な配慮」そのものですね。
257-3 ▼ 療育的な配慮をもっと日常に
大人同士のやりとりでも、相手に合わせて微妙に表現や伝え方を変えていると思います。あえて自分の意見を押し通すときもあれば、自分が一歩引いて相手の出方を見るときもあれば、全体に合わせるときもあれば、、、といったように、色々と状況に応じて発信の仕方は変わります。
療育というとなんだか特別な何かのように思う方もおられるかもしれないのですが、みんながごく当たり前に日常生活の中で行っていることを、ちょっと別の角度からやっているに過ぎないのですね。
最近、4年に一度の巨大イベントの組織委員会の某会長が、性差別的な発言をしたということで、色々と話題になっています。あの発言も、もう少し「療育的な配慮」があれば、全然違ったものになっていたろうになあと思います。
つくづく、療育が何か特別なものではなく、わたしたちの日常生活に当たり前に根付いたものになればいいなと思う日々です。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。