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絵が大好きな少年の物語

目次

お子さんの絵を見せていただきました

Twitterでお話させていただいた方から、お子さんの絵を見せていただきました。

こちらのお子さんは、絵を描くことで気持ちを表現し、感情をコントロールし、今は絵やデザインを生涯の仕事にしようと努力されているところです。

一人の少年が絵とともに歩んできた道のりは、きっと多くの方の心を励ましてくれるのではないかと思います。

掲載をご快諾いただきましたので、記事にさせていただきました。

以下、お母様の手記より。

絵を描きだした頃

息子は絵を描くと言われる年齢になっても絵を描かず、定型の子供が描き出す年齢より数年遅れて初めて描いた絵が、超リアルなてんとう虫でした。

可愛い絵、子供らしい絵を描かないのでそれも心配したのですが、否定せず自由に描かせていました。

障害があるのではないかと保育園で先生に言われ、病院を数軒回りました。

そのうちの一軒で、一人の児童精神科の先生が、初診日に紙をくれたんです。

息子はそこにずーっと絵を描いてました。

先生はその世界観を認めてくれ、誉めてくれました(以来、その先生を「お絵描き先生」と呼んでます(^ー^) )。

絵を活用するようになった小学校時代

小学校に上がった息子は感情をコントロール出来ず、言葉も達者ではなかったので、手や足が出ていました。

そんな息子がやっと感情をコントロール出来るようになったきっかけが絵でした。

小学校1年生から5年生まで行ってた学童では、お迎えに行ったら、暴れて先生に取り押さえられてる真っ最中だった、なんてしょっちゅうでした。

先生が二人がかりで押さえてる息子を私がぱっと抱きかかえ、相手の見えない方向へ連れていき、「そうかそうか、悔しいんだな。何があった。」と、こんこんと話を聞いてあげて落ち着く。

そして相手の子と話し合い。

ってのがしょっちゅう。

きちんと話を聞いてみれば、いつもトラブルのきっかけは相手の子から来ていて、息子からちょっかい出すとか、何かをするとかいう事は100%なかったです。

何かされたら相手に直接、正しい言葉で文句を言う、という指導も大切にしてたんですが、自分の好きな事についてはお喋りマンなくせに、言葉が達者ではなかったので、やはり手足が。。。

先生方も大変だったろうと思います。

発達障害の子供の対応を知らなかったので、息子をきっかけに勉強会へ行ったり、専門の先生に指導を見てもらったりされて。。

先生方がクールダウンする為のリラックスルームを作ってくれて、その部屋で本人が、マットに当たる、暴れる、好きな絵を描く、という行動でクールダウンをしていました。

そのことから、「気持ちを絵に描いてはどうよ。」と提案してみました。

私としては、とにかく息子に自分でクールダウンする術を身に付けてほしかったんです。

絵を描くことを、感情のコントロール方法の一つとして明確に本人が意識してやりだしたであろうと思えるのが、小4の頃。

ある日の参観の時、支援級の先生が、息子が黒板に描いた絵を見せてくれたんです。

何か些細なトラブルがあり、それを息子が黒板に順序だてて描いて先生に説明したとの事。

先生が、これは凄いですって感心して誉めたそうです。

それがもしかすると、明確に息子自身が「悔しい時は絵に描いてやる!」と思ったきっかけになったのではないかと思っています。

その辺りから、物には当たれど、怒って暴れるとか、殴る蹴るはなくなりましたから。

そっから数年間、静かに過ぎて行きました。

絵を描かなくなった出来事

中学校に上がり、たまたま描いた絵を見た担任が、息子に「絵を描くな」と言ったそうです。

私に質問も相談もなく、息子に直接。

その絵には、「死」って文字を入れてたのです。

担任はそこを問題視したようです。

「死」という言葉を心配するのはわかりますが、「そんな言葉を使いたくなっている息子の心を心配する」という姿勢で、私に何か聞いてから息子に説明してくれたらいいのに。

そうではなくて、他の子が見たらびっくりするからって理由で、息子からバサッと絵を奪ったのです。

そうしたら、息子は全く絵を描かなくなりました。

ずっと絵と共に生きてきて、絵で自分自身をコントロールしてたのに・・・

息子にとって非常に大切なものを奪われた事が心配でした。

そこで、お絵描き先生に会いに行き、先生に話して絵を見せました。

そしたらね、先生笑っちゃってました。

「これの何がダメなのかねぇ、これがダメならホラーはどうなるの?(^ー^)」って。

それを聞いた息子の表情がパッ!と明るくなりました。

ほっとして光が宿った息子の顔、私は今でも忘れないです。

その後、手帳の判定をしてくれる児童相談所の先生にも事情を説明し、絵を見てもらいました。

そしたらその先生もお絵描き先生と同じような事を言いました。

そして、「死という文字を、死を考えるような子が見たらびっくりするから、学校では描かないようにしよう」って話をされました。

息子も「あっ!そうか!そういう意味か」って理解しましたし、何より自分の絵は間違ってないと思えたから、また絵を描き出しました。

(担任も最初からそう言ってくれたら私も怒らなかったんですよね。説明してくれたら息子だって私だってわかるのです。)

通常級への転籍と「鳥仲間」との出会い

そして、中2になり、在籍を通常級にかえました。

そこであったのが、息子のクラスの学級崩壊。

支援学級でぬくぬく育ちの息子には、とても辛かったようです。

夏休みになる前には、頭痛を訴えるようになり、秋の修学旅行も「行かないという選択」もしました。

修学旅行については、後日、「私と二人で違う場所へ修学旅行に行く」「学校の修学旅行に行かないと決めた大本の問題とちゃんと戦って、スッキリする」という事を経験しましたが、頭痛は治らず。。。

そんな時、ちょうど息子の14才の誕生日に、野鳥の会の探鳥会があるのを知り、息子にサプライズで連れていったのです。

息子は生物が大好きで、亀、恐竜、ウルトラマンの怪獣(生物?w)とか、小さい頃から興味を示し、今でも大好きです。

図鑑もボッロボロになるくらい読破してます。

だから探鳥会も、それはそれは喜びました。

メンバーは引退されたおじちゃんばかりなのですが、自由に思う存分鳥の話が出来るのです。

そこは息子の生き甲斐になりました。

やっと学校の外に目を向けることができるようになり、学校の外にも仲間がいる事を知ったのです。

そこからです。

絵がガラッ!と変化したのです。

鳥の絵を描いても目に命が入り込み、優しさが出てきたのです。

変化する前後の絵

左が変化前、右が変化後です。

目と線が全く違うのがおわかりかと思います。

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 転籍の理由

通常学級に転籍した理由は、B2判定の子供は支援学校で満足出来るのか?という悩みから発生してます。

友達の子供は重度で支援学校に行っていて、その友人にそう言われたのです。

そこからぼんやり考えたりしてました。

それと一番大きな理由になったのは手帳の判定。

B2って、手帳的にギリギリです。

次回取れないかもしれないって不安が、転籍を考えた一番の理由です。

手帳が取れないと普通に就職です。

手帳が無いけど支援学校を出た子を、ポンと採用してくれるのか、それを危惧しました。

息子の進学についてもいろいろ考えました。

息子は、鳥好きの人と一緒にいると凄い楽しい。

だったら、絵の好きな人といると、これまた楽しいんじゃね?っていうところから、息子がデザイン科で、絵を描くのが好きな子達と、あーだこーだ言いながら絵を描く高校生活を思い描いてみました。

そしたら、あ!その方が息子が毎日楽しく学校に行けるんじゃん♪友達出来るんじゃん♪って思えたりもしました。

息子とも話をしましたが、自分で決めるには幼く。。

で、中1の秋頃にだったかな、教育委員会に言わないといけない時期になり、手帳が取れなかった場合の将来の為に転籍希望を出しました。

手帳は、実は障害が分かった時には取得出来なかったのです。

で、小6の頃かな。。

年齢が上がると取れることがあると聞いたので行ってみると、取れたのです。

あと1個できたら取れてなかったくらいギリギリで。

そんな事もあり、中2の秋にやる更新で手帳が取れないかもって不安は大きかったです。

結局あっさり更新できたのですけどね。

手帳がないと就職で困ると考えてるので、更新できてほっとしました。

やっぱ、ちょっと面倒くさいし、話が通じない事もあるし、不思議君なので、普通に真っ直ぐ就職し、働いていけるのかは謎です。

カラスの羽根

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そんな息子が中3になって描いた羽根の絵です。

この羽根は、虫嫌いの私にバレないように、3日かけて少しずつ移動させながらコッソリ持ち帰ったもので、それを思うと笑っちゃうのですが、この絵を見た時に、美しくて思わず写真を撮りました。

「絵は心を写す」、そう思えた絵です。

心に、自分が本当に大切だと思える価値観という基地が出来ると、人は強くなれますよね。

それが現れた絵だなと思います。

息子は小さな頃も今でも、優しいと言われるタイプののんびりさんです。

今は中3ですが、中2の時に「スルーする」という術を身につけたのと、小学校時代からの仲良し君と同じクラスなので、休み時間は絵すら描いてないのでは?って感じです。

気持ちをコントロールする手段だった絵が、一つの役割を終えて、次のステージに進化しました。

高校生活でもきっと絵は新しい役割を持つようになるのだろうと思います。

あれから1年・・・

2015年末、息子が変わるきっかけとなった探鳥会に、初めて一人で行く事が出来ました。

タクシー使いましたけどf(^^;

この探鳥会のおかげで、息子は世界が広がり居場所を見つけたようで、グン!と内面に変化がありました。

仲間が出来るって、心に良いので本当にお薦めです!

そして2016年春、希望の高校に合格しました(ToT)

専願とは言え心配でしたが、無事に希望の高校のデザイン科合格(ToT)(ToT)

息子は合格しましたが、専願でも落ちた子が数人いたので、「専願だから絶対大丈夫」とは言えないようです。

息子の場合、特性ゆえの超真面目さで、日頃の行動についての先生方の評価が高く、成果につながったようです。

高校合格には日頃の行動も大事なようなので、ご参考になれば。

また、通常高校を目指した際、支援級からは無理と言われたんです。

成績の評価の仕方が違うから。

なので通常級と同じ評価をしてくださいと頼みました。

だって通常級で受けてる授業はあったから。

個々の状況によると思いますが、息子の学校では頼んだらやってくれました。

誰かの道しるべになれば本当にいいなと思います。

道は色々あるけれど、子供の為になる道を選択出来たらいいな、と。

そして3月某日。

卒業式で、小学校、学童の先生にも挨拶してきました。

転籍し不登校の入り口に立ちましたが、最後の一年間はとても良いクラスだったなと実感できる日でもありました。

寄り添い支えてくれた先生方や、こういう場があることに改めて感謝です。

ありがとうm(__)m

高校生としての新生活!

テストでは今まで取ったことのないような高得点が取れていてビックリしています。

大きな選択をして入った第1志望校に行けてると言う事、好きな絵を学びたいだけ学んでるので、勉強にも影響してるのかもしれないです。

無事に一緒に帰宅出来る友達も出来ました(^-^)。

その子が途中の駅で降りるのですが、降りたら今どこどこ駅の各駅メールが毎日送られてきて、少々困ってますσ(^◇^;)

今日、なんで各駅ごとにメールをくれるのか聞いたら、「寝るのを防止するため」だそうで、なるほど!でした。

細やかですが自分で考えて行動することが増えてビックリしてます。

初めての電車通学ですが、幼い頃から電車に乗せてたので、高校になり1度も送り迎えせずに済んでます。

驚くことに、自分で快速に乗り換えしたり、考えて乗っているようです。

そんな姿を見て、今までの先を見越しての積み重ねは、無駄じゃなかったなと思っております。

まだまだ支えが必要な部分があるのですが、親子ケンカしながらも無事に巣立てるよう、これからも頑張って行こうと思います。

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この記事を書いた人

楽しい療育の三輪堂 主宰

身体の原理原則で、育児も人生ももっと面白く。

ふとしたきっかけでゼロから独学で療育を学び、療育の知恵はあらゆる人に当てはまる人生の知恵であると確信。従来の療育知識に整体・武学体術・エッセンシャルオイル等を取り入れ、身体の原理原則にもとづいて無理なく心身を活かす道を提案中。日常生活のすべてが学びになり、よりよく生きるヒントに変わる生き方を実践しています。

活動フィールドは、情報発信・執筆・オンライン療育相談・身体と心のつながりを深めるセミナー・エッセンシャルオイルと整体を組み合わせたケア・志を発信する媒体作成など。

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