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彼の意見の是非はともかくとして、
彼の言う「安心」「愛着関係」「社会的存在」は、療育でも非常に大切な考え方です。
子供たちを、
「安心」を持った「社会的存在」にするために療育がある
と言っても良いほど。
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発達に偏りのある子供たちは、残念ながら保護者の虐待を受けやすい性質を持っていることが多いと言えます。
保護者の愛情を引き出す動作が少ない、
相手の感情に共感を見せない、
自己主張ばかりが強い、
すぐに乱暴をする、など、
いわゆる「可愛げがない」ように見えてしまうことが多いからです。
たいていの保護者は、最初から虐待しようなどとは思っていません。
我が子をきちんと育てようと、声かけやしつけなどを試みます。
ところが子供たちの独特の認知特性のおかげで、
保護者の指導はなかなか伝わらず(伝わったように見えず)、成果もすぐには出ません。
すると保護者は苛立ち、失望し、
子供を可愛いと思えなくなり、
少しずつ、虐待の芽が出始めるのです。
子供に向ける冷たいまなざし。
どうせこの子には何もできない、という諦め。
いつもガミガミと叱るばかり。
暴れて言うことを聞かない子供を制御する手に、つい必要以上の力がこもったりも。
このような接し方が少しずつ少しずつ、親子関係の中に定着していき、
虐待につながっていきます。
虐待というと、体への暴力がイメージされやすいのですが、
体には乱暴をせず、食事や衣服の面倒はきちんと見ていても、
同じ部屋にいながら自分はスマホばかりいじっていて子供に温かい言葉をひとつもかけない、
といったような状況が何日も続くのでは、
これは明らかに虐待です。
(冒頭の最終意見陳述でも、「心理的虐待」について触れられています。
渡邊被告は、自分は心理的虐待を受けていた、と述べています。)
そうなると、親子の間だけでは関係の改善は難しくなります。
第三者が介入して、保護者も子供も大変な努力を重ねて、
少しずつ信頼関係を取り戻せるように関係を構築し直していく必要があります。
そうなる前に!
できるだけ早いうちから適切な療育を行って、
お互いに愛情ある関係を築いていくことがいかに大切か、ということを
声を大にして何度でもお伝えしたいと思います。
(黒バス脅迫事件の被告人も、もし幼い頃に保護者から適切な働きかけを受けていれば、
まったく違った姿で成人されていたかもしれません。)
ただ・・・
仮に虐待などの不適切な親子関係があったとしても、
その事実だけを見て第三者が親子を責めるのは間違いです。
ひとつの家庭がそうなるまでの時間の流れ、事情、関係者の思いに敬意を払い、
全員の心に寄り添った支援が大切です。
いま悩んでいるご家庭に、
一人でも多く、
適切な療育についての考え方が伝われば、
と切に思います。