こんにちは。三輪堂です。面白く生きる連載、255通目です。
255-1 ▼ ルールをしっかり守る子にありがちなこと
「学校に行かなければならない」
「宿題をしなければならない」
といったように、自分でがっちりと思い決めて、苦しくなってしまう子がいます。
ルールをしっかり守る子にありがちです。
彼ら・彼女らは、「宿題をやらなければならない」、でも現実には宿題をやりたくない時もある、そのはざまで悩んで苦しんでいます。
ルールを守れるのは素晴らしい美徳ですが、少し融通もきかせられるようになっておくと、長い人生が生きやすくなりますね。
「~しなければいけない」は、絶対ではありません。宿題は確かにやったほうが良いものではあるでしょうが、宿題をやらなかったからといって生命に関わるわけでもありません。大人だって時には仕事を休むこともありますものね。
255-2 ▼ 優先度をつけてみよう
このテストは必ず受けないと単位を落としてしまうとか、この会議は絶対に休んだらまずいとかというように、社会には優先度・緊急度の高い課題は確かに存在します。
「~しなければいけない」に厳密な子は、全部の優先度が「高」の状態になっているんですね。
その子の世界では全部最優先でやらなくてはいけないことになっていて、でも現実にはそんなことは不可能ですから、不可能を実現しようとして苦しくなってしまう。
こういうときは、「優先度中」・「優先度低」を一緒に作ってあげて、構造的な手の抜き方を提案してあげると、受け入れてくれることが多いように思います。
また、こういうタイプの子は、言葉使いも厳密なことが多いように思います。
何かを表現するときになかなか言葉が出ず、「~~っていうこと?」と助け船を出すと、「違う」「そうじゃなくて」と、自分にとってピンとくる正確な言葉でなければ受け入れない様子を見せます。
言葉は思考の鏡のようなもの。
言葉の使い方にその人の考え方や物事の受け取り方、その人が捉えている世界の姿が現れます。
逆に言えば、言葉の使い方を変えていくことで、その人の内面世界の姿を少しずつ変えていくことができる、ということでもあります。
言葉の使い方の面でも、おおまかに自分の思う概念に近ければそれでいい、というゆるさを練習していけると、曖昧さを受け入れる生き方の育みにつながっていくでしょう。
255-3 ▼ 大人も「自由に行き来」できるようになろう
大人も意外と、ここはもう少し気を抜いてもいい、曖昧にざっくり行ってもいい、ということが自分では気づけないことがあるものです。
はたから見るといつもきっちり物事をこなしてスキがない方が、でもご本人は全然そんなつもりがなかったり、むしろ自分は全然できていないと思っていたりすることがあります。
こういう方は、時々ぐったりと疲れてしまうことがあるようですね。。
頑張ることが悪いことなのではなくて、頑張るときは頑張る、ラクをするときはする、これらを自由に行き来できることが、楽しい生き方につながるのではないかなと思っています。
もしこの記事を読んで、(あれ、自分は肩に力が入っていたかも)と思う方は、ぜひこの機会にちょっとラクをしてみていただきたいなと思います(^ ^)
料理をしないでお惣菜を買ってくるとか、家事を休むとか誰かに頼むとか、子供の宿題を見ないで放置するとか、どんな方法でも良いので、自分がやっていることを手放してみてください。
頑張る方向のギアが入りっぱなしになっている時は、ギアを一回切ってみないと、そもそもギアが入っていたことにも気づけないものです。
ギアを切って何かを手放して、ラクになってみて初めて、今までいかに自分が頑張っていたか、力が入っていたか、に気づけると思います。
そこに気づくことが、頑張ることとラクをすることを自由に行き来できるようになる第一歩ですよ。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。