こんにちは。三輪堂です。面白く生きる連載、250通目です。
250-1 ▼ 日常生活のあらゆる場面に隠れているもの
前々回・前回と、【目的の設定に応じて人生の選択肢は生まれてくる】という話を書かせていただきました。
ここでお伝えした、目的を設定するとそれにふさわしい答えが出てくる、というのも身体の原理原則の一つです。
わたしたちは自分自身の身体とともに生きていて、その身体をつかった活動にはすべて、身体の原理原則が反映されています。
今回はゲームで課金するかしないかというエピソードを例に挙げましたが、この原理原則は日常生活のあらゆる場面で見つけることができます。
身体の原理原則などと呼ぶと、大層もない深淵な哲学のように聞こえるかもしれませんが、まったくそんなことはありません。
それはただ、身体の現在地に目を向ける、身体の今の声を聞くというそれだけのことです。
それだけで身体の原理原則は見えてきます。
250-2 ▼ 身体の原理原則はすべてに適用できる
たとえば、手足の関節を逆に曲げたら脱臼しますよね。関節の可動範囲が一定に決まっているように、身体は一定の原則に沿って動いていて、そこから外れると不調や故障につながります。
身体の原理原則を育児や療育や人生に適用できるというのもそういうところで、原則に沿っていれば育児も人生もよりいきいきと発展する、原則から外れると育児や人生に不調や故障が起こりかねない、ということが言えます。
だったら、身体の原理原則をよく知って活用できたほうが、より面白く、より本来の才能を発揮しながら生活していけそうな気がしませんか(^ ^)
250-3 ▼ より活用しやすくするために
ごく普通に生活して、仕事や育児や家事に追われてバタバタしている毎日の中にも、身体の原理原則がいきいきと発揮されている。そう考えると、人生って悪くないなと思います(^ ^)
この連載は、身体の原理原則を皆さんの療育や育児や、ひいては人生そのものに活用していただきたいという思いで続けております。
身体の原理原則をより皆さんにとって活用しやすいものにしていくために、身体の原理原則の輪郭をまとめてご紹介していくようなものもいずれご案内できたらいいなあと思っているところです。
というわけで今日はざっくりとこのへんで。
ちなみに・・・
お騒がせしたゲームですが、結局課金はしておりません(何人かからお尋ねがあったので笑)
自分にとってこのゲームは(少なくとも今のところは)「プレイすることそのものが楽しい」という存在だと見極めがついたので、ちびちびと大砲を打ちつつ、いつかダイヤモンドが3000個貯まるのを楽しみにしています。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。