こんにちは。三輪堂です。面白く生きる連載、237通目です。
237-1 ▼ 障害の受容について掘り下げてみたいと思います
今日からしばらく、障害の受容ということについて書いてみたいと思います。
障害の受容とは、広く見れば、(障害の有無に関わらず)自分自身をどう受け止めるかという話になります。
誰にとっても非常に大切なテーマだと思っています。
このテーマには、正解はありません。
その方が自分自身をどう捉えているかがそのまま表れる命題です。
これから書いていく内容も、こうすれば必ず答えが出るよ、とか、こういうタイプの子にはこう伝えるといいよ、とか、そういった方向にはならないだろうと思います。
ただ、自分自身の輪郭をどう捉えていくか、どう掘り下げていくかということのヒントをお伝えできればと思っています。
自分自身も、このテーマについては、掘り下げる余地が大いにあるなと感じていました。
一通り勉強してはいますし、それなりに語れることも持ってはいるのですが、自分の説明がどうも表面的で、言いたいことに言葉が届いていない、本質を表現しきれていないという感じがありました。
でありながら、同時に、このあまりにも大きな課題に対峙するには自分の格が足りないことを無意識に感じてか、正面から扱うことを避けてきたようなところがありました。
今回、わたし自身も、支援者として、そして一人の人間として、障害受容という大きなテーマに向き合ってみたいと思います。
この連載を通して、皆さんとご一緒に障害受容を考えさせていただき、思索を一歩深める機会とさせていただければと思っております。
言葉足らずであったり、論のまとまりがうまくつかなかったりするかもしれませんが、何卒ご容赦いただき、お付き合いを賜れれば幸いです。
237-2 ▼ 一般的な発達プロセスの概要
障害の受容というテーマが話題になるのは、知的な課題のない方の場合、おおよそ小学校の中~高学年からであることが多いですね。
この頃の一般的な成長発達のプロセスとして、自他をはっきりと認識し、物事を客観的に見られるようになってきます。気の合う数人のお友達と徒党を組むような行動も見られ、いわゆるギャングエイジと呼ばれる時代に突入します。
自分と他人をしっかり見られるようになってくる分、自分と他のお友達との違いにも気づき始めます。
ここで、自分に対して肯定的なイメージを持つことができると嬉しいのですが、
発達に特性があるお子さんの場合、なぜ自分だけ別のクラスにいるのか?なぜ自分だけいつもうまくいかないのか?といった、どちらかというと否定的な自己像を見出しやすくなります。
そこに「障害受容」というテーマが生まれてくるわけですね。
237-3 ▼ 階段を上る喜び
そもそも、発達の特性というものは、その人だけの大切な特質です。
その特質を自分がポジティブに受け取っているか、ネガティブに受け取っているかは関係なく、
ポジティブな部分もネガティブな部分も含めて、自分は自分であるということを腹に落としていくことが、自分を受容するということの意義です。
人が生きていく上で、こうして自分自身と向き合うタイミングは何度もやってきます。
大人でも、生き方に迷ったり、答えを探したりして、自問自答を繰り返しては成長していくものですね。
もしご家庭で、お子さんが自分自身の受容というテーマに直面したならば、まずはお子さんの心身の成長発達を心から喜んであげていただきたいなと思います。
お子さんは今、生きるということの階段を、自分の足で堂々と上り始めたということなのですから。
明日からは少しずつ具体的な話に分け入っていければと思っております。
引き続きお付き合いいただければと思います。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。