先日、たまたまLINE@で、ある保護者の方とお話をさせていただいて、思うところがあり、記事を書いています。
その方は小学校中学年のお子さんをお持ちで、こんなことをおっしゃっていました。
「就学前の療育はとても充実して楽しかったのですが、
小学校に入ってから、特に今年度の学校のあまりの理解の無さに心がすっかり折れてしまいました。」
こういったお話は、大変多くの方から伺います。
就学前は丁寧に支援をしてもらえたのに、小学校に上がった途端、支援が行き届かなくなった、と。
残念ながらこれは、現状ではどこの小学校でも「構造的に」起こりやすい出来事だと思います。
先人たちの努力の甲斐あって、現在、未就学児に関しては、一人ひとりの心の育ちに寄り添って丁寧に働きかける関わり方が当たり前になりつつあります。人員も多く配置されます。世界的に見ても、乳幼児に対する日本の行政のサポートは大変細やかで、成功している部類に入ります。もちろん個々の環境にもよるでしょうが、特別な支援を必要とする子供たちに対する働きかけも、比較的充実しているといえます。
一方、小学校・中学校では、(例外はありますが)子供たちが規則に従って集団生活を送れることを前提として学習や生活が組み立てられています。子供たちが学ぶべき知識の量も、身につけるべき生活上の知恵も、子供たちが出会う社会的な課題の複雑さも、圧倒的に増えます。一年間で決められた量の学習をこなしていかなければならない、かつ、指導にあたる先生の人数も限られている、となれば、指導がある程度「型にはまった」ものになるのも、仕方のない側面があります。
となれば、保護者が「小学校に入る前はサポートが充実していたのに、入学した途端に支援が手薄になった・理解されなくなった」と感じるのも無理はありません。
これは、未就学児への支援のほうが「一歩先に進んでいる」から起きていることで、これから学童期の子供たちへの支援もぐんぐん追いついてくる、と私は大いに期待しているのですが、それは一旦脇に置いておくとしましょう。
冒頭の保護者さんは、
「子供一人ひとりをよく見て、それぞれに合った支援をしてほしい」
と、おっしゃっていました。これは子供に関わる人すべての願いでしょう。シンプルなお言葉ですが、一番大切なことは全てこの一言に含まれていると思います。
保護者だけでなく先生方も同じ理想を抱いて、日々の教育に熱意をこめてくださっているものと思います。実際、学校の先生方が、個の関わりと学級経営全体のバランスを取るという難題に、日々真剣に向き合っておられるご様子を、あちこちで伺っています。
たとえば、平成28年4月から施行される障害者差別解消法に関連して、文科省の対応指針では、インクルーシブ教育における合理的配慮を行う前提として、以下の内容を学校に求めています。
(ア)障害のある子どもと障害のない子どもが共に学び共に育つ理念を共有する教育
(イ)一人一人の状態を把握し、一人一人の能力の最大限の伸長を図る教育(確かな学力の育成を含む)
(ウ)健康状態の維持・改善を図り、生涯にわたる健康の基盤をつくる教育
(エ)コミュニケーション及び人との関わりを広げる教育
(オ)自己理解を深め自立し社会参加することを目指した教育
(カ)自己肯定感を高めていく教育
(参考URL:文科省サイト http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1325887.htm)
難しい言葉を使っていろいろ書かれていますが、言いたいことは冒頭のお母さんがおっしゃったことと同じです。
「一人ひとりをよく見て、それぞれに合った支援をする」
要するにこれに尽きますよね。
***
保護者と学校の思いがかみ合わない時の解決策はたった一つ、お互いに徹底的に話し合い、思いを伝え合うこと、ではないでしょうか。
岡目八目という言葉もある通り、先生には見えないものが保護者には見えることもあります。
学校の中に、保護者にはわからない事情が隠れていることもあります。
生徒自身、それぞれの保護者、担任の先生、校長先生、特別支援教育コーディネータに教育委員会まで加わって、1クラスでも数十人からもしかしたら百人を超えるような人数が関係する場で、全員の思いが完全に一つになることは、たぶん難しいでしょう。
それでも、「一番大切なのは子供たち一人ひとりをよく見てそれぞれに合った支援をすること、その子たちが充実した学校生活を送ること」という理想を、関係する大人たちが全員で確認し合うことができれば、少しずつ状況が動き出すのではないかと思います。
理想の共有は、一度だけでは不十分です。迷った時は何度も何度も原点に立ち返り、理想を再確認していくことが必要です。
時には、理想の形が変わっていくこともあるでしょう。日々成長する子供たちを相手にしているのですから当然です。変わっていく部分を見つめることで、絶対に変わらない部分、理想の真髄というべき核の部分も、明確になっていくことでしょう。
学校生活における子供たちの理想のあり方とは?
私たちのクラスの教育の理想とは何か?
この思いを、保護者と学校とがお互いに言語化して、徹底的に共有し合っているクラスは、おそらくほとんど無いのではないかと思います。もしかしたら、ご家庭の中でも、ご両親の思いをすり合わせたことが無いという場合も多いかもしれません。
うちの学校では支援がなっていない! 何度言っても支援が改善されない! と思う時は、もしかしたら、その大前提となる「理想」が共有できていないのかもしれません。先生は先生なりに、自分の理想に向かって努力しているかもしれないのです。それが保護者にとって見当違いに見えるということは、保護者の理想と先生の理想が同じではないのかもしれません。理想にたどりつくための道のりは色々ありますし、具体的な支援の方法はいくらでも工夫できます。理想が共有できていれば、道のりが違ったとしても直感的に納得できるものです。
理想を共有するためには、話し合いの場で学校と保護者が真正面から向かい合う機会が一度は必要だと思います。真正面から意見をぶつけ合う話し合いは、とても難しく、エネルギーを使う作業ですが、避けては通れません。
この話し合いをスムーズにするために、ぜひご提案したいのが、「雑談をしよう」ということです。
たとえばこれは、ある保護者から伺ったエピソードです。
その方のお子さんは支援級に通われています。そのクラスでは、保護者と先生が月に1回、全員でカラオケ大会をするのだそうです。音楽室に集まって、先生の私物のハンディカラオケマシンを使い、歌詞はスマホで検索しながら、みんなで歌うのだとか。
なんでわざわざ、忙しい時間を割いて集まって、カラオケなんかしなくちゃいけないの?とその方は最初思ったそうです。でも、集まりの回数を重ねるうちに、なんとなく「この時間は必要だ」と思うようになった、とおっしゃっていました。
これはとても示唆に富むエピソードです。
別に、やることはカラオケでなくても、何でもいいんですよね。ホットプレートを持ってきてクレープを焼くとか、書道とか手芸とか、1000ピースのパズルをみんなで完成させるとかでもいい。全員が楽しく参加できることなら何でもアリです。
先生と保護者と、子供たちの成長に関わる大人たちが、全員で場を共有すること。
答えを出そうとしなくてもいい。ただ、同じ時間と空間を共有しながら、笑ったり、飲んだり食べたり、気軽に話したりして過ごすこと。
人と人の心の距離を縮めてくれるのは、こういう何気ない時間の積み重ねです。
何度話してもわかってくれない、伝わらない・・・
教育委員会にも入ってもらっているけれど、こちらが望む支援とはズレている・・・
そんな悩みを感じている方は、まずは「理想を共有できているか」を振り返ってみてはいかがでしょうか。
理想の共有が十分でないな、と思われたら、「話し合い」の前に「雑談」をたくさんすることをお勧めします。
もし可能なら、毎朝お子さんと一緒に学校に行って、先生と笑顔で挨拶を交わすのも良いでしょう。
連絡帳に保護者からの一言を丁寧に書き添えるのも良いでしょう。
それこそ、月に1回のカラオケ大会やらパズル大会やらを開催するのも良いでしょう。
こういった「雑談」の機会を何度も積み重ねることが、お互いの理想を共有しやすくする土壌、空気感を作ってくれます。
心の距離が縮まった状態で持つ「話し合い」の場は、そうでない場と比べて、圧倒的に成果の出やすい空間になっているはずです。結構「雑談」だけで状況が前に進み始めることがあるとも思っています。
あなたのお子さんが通う学校では、教育の理想を共有できていますか?(^^)