969-1 お惣菜でごめんね
昨日は、夕飯を作る気がしなかったので、仕事帰りにスーパーに寄って、20%引きになっているお惣菜を買い集めてきました。
帰宅して、お惣菜を食卓に並べながら、ふと自分の口から出た言葉は 「今日はお惣菜でごめんね」。
自分は一体誰に・何に対して謝っているのだろう、と思いました。
夕飯を作らなかったことに対して?
余計な出費を気にしている?
栄養が偏ると感じている?
家族は誰も、夕飯が市販のお惣菜になったことを気にしていません。
むしろ子供は喜んでいます(普段わたしが作らないようなものが食べられるので)。
出費も栄養も、手作りの場合と比べれば揺れはあるでしょうが、まあ誤差の範囲です。
それなら、わたしは何を申し訳ないと思ったのか・・・
969-2 罪悪感
それは、自分の中の「罪悪感」のなせる業だったと思います。
ふと冷静になって見つめてみると、わたしの中には根深い罪悪感があります。
いつもは目を背けて、見ないようにしている罪悪感です。
わたしはきっと、夕飯を作ることでその罪悪感を解消していたのだと思います。
仕事や自分を優先して、家族を後回しにしている罪悪感。
そのくせ、仕事がそんなにうまくいっている感じもない。
どんどん子供から手が離れていって、自分が必要とされなくなっていく感覚。
家族は、疲れて寝ているわたしをそっと寝かせておいてくれるのですが、それが逆に寂しいような、仲間外れにされているような感覚。
そういうものを全部、夕飯を作る一点に込めて、
■家族に対して義務を果たしている
■家族の一員として自分が機能している
そんな満足感や達成感とすり替えて、なんとか自分を保っていたのかもしれません。
・・・そんな食事、あんまりおいしくなさそうですね。。(苦笑)
969-3 ただ楽しんで
わたしは料理は嫌いではありませんから、夕飯作りが満足感(=という名の罪悪感の裏返し)につながりましたが、
これが苦手な掃除になると、義務を果たしてやっているという不平不満(=という名の罪悪感のすり替え)につながったのだろうなあ、と思います。
ただ単純に楽しんで、喜んで、自分のやりたいことをやればいいだけなのに、たったそれだけのことがなんと難しいことか!
でも、まずは気づくことが第一歩です。
いきなり罪悪感を手放すことは難しいかもしれませんが、ここに罪悪感があったと気づくだけで、気づく前とは段違いです。
とりあえず、今日は夕飯を、ただ楽しんで作れたらいいなあと、そんなふうに思っています。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。
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