664-1 療育という言葉にこもる大人の視点
わたしたちが「療育」という言葉を使うとき、そこには多かれ少なかれ、「大人が子供に手をかけて、育ちを促す」という視点が存在しています。
「特別な配慮」とか、「適切に関わる」といった表現も、それをはっきりと物語っていますね。
わたし自身も、これまで、そのことを疑わずに来ました。
大人がこのように関われば、子供たちはこのように反応する。
また別の関わり方をすれば、子供たちは別の反応を見せる。
自分が何かをしてあげることによって、相手が変化する。
因果関係がはっきりしていて、わかりやすいですね。
664-2 大人が子供を変えてあげているのか?
その理屈でいくと、大人が関わり方の引き出しを多く持っているほど、さまざまなタイプの子供たちに対応でき、より良い変化を起こさせてあげることができる、という結論にたどり着きます。
そこで自分も、療育のテクニックや知識、こういう時にはこうすればいい、という事例をたくさん学ぶように努めてきました。
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一方で、ここ数年、身体の原理原則について体感し学びを深めてきました。
その結果、自分が捉える療育というもののビジョンも、大きく変化してきています。
大人の関わりによって子供を変えてあげる、というかつての自分の考えは、あまりにも傲慢でした。
そんな余計なことをしなくても、人の身体は自身の居心地の良いところをすでに選択しています。
関わり方に配慮が必要でないということではありません。
特に学校や社会的な枠組みの中で居心地よく過ごすためには、適切な配慮はやはり必要だと思いますし、常時医療ケアが必要なお子さんや、他者の手助けがなければ生活が難しいお子さんなど、個々の事情はさまざまあると思います。
問題は、その配慮の底に流れる大人の意図のありようです。
人が育つこととは、自分がこれまで捉えていたよりも、はるかに豊かで底の深い現象であったのかもしれない、と思うようになりました。
664-3 当たり前のように
単なる療育テクニックにとどまらない、子供たちの心と身体に本当の意味で寄り添う働きかけとはどんなものなのか。
どうすればそれが「家庭・社会の日常生活の中で」「当たり前のように」実現できるのか。
自分もようやく入口にたどり着いたばかりで、まだうまく言語化できませんが、今後のテーマとして胸に抱いていくつもりです。
と同時に、親御さんや先生方にとっては、「〇〇という(問題)行動に対して、どう対処すれば改善するか」といった、従来の療育知識も切実に必要とされていることと思います。
そうした側面もフォローしつつ、身体の原理原則に基づいた、大人にも子供にも無理のない支援のありようを模索していきます。
願わくば、読んだだけで、周囲の空気が温かくなるような、育児療育教育に希望が灯るような、そんな情報発信を続けていけたらと思っています。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。
自分の身体からの答えを知りたい方へ
あなたの現在地から過去を振り返り、あなたの得たい成果から、進むべき道をそっとご提案します。
過去から現在を見るのではなく、未来から現在と過去を見る。
現在の捉え方が変われば、過去の定義づけも変わり、人生すべてが変わります。
1対1でじっくりとお話を伺う中で、あなたの人生を浮き彫りにします
メッセージはすべてあなたのお話の中にあります
その中から、あなたの才能や生まれてきた意味が見えてくるかもしれません