こんにちは。三輪堂です。
面白く生きる連載、158通目です。

158-1 ▼ 自分のありようが表れる

昨日は、「選ぶ」「決める」力が大切だとお伝えしました

選ぶ・決めるためには自分の意思、方向性が必要です。
自分にとって何が必要で何が大切なのかをしっかり持っていないと、選べないし、決められません。逆に言えば、自分が選んだこと・決めたこと、その選び方・決め方、そこに自分のありようが表れています。

たとえばパンプスを履いたら足が痛くなるとして、でもフラットシューズを履くよりも大切なものが得られると判断するならば、パンプスを履くことを選択できますね。
一方、フラットシューズを履いて足指をのびのびと使うことを選ぶならば、パンプスのおしゃれを選ばないことを決断できます。

パンプスを履くことで、あるいはフラットシューズを履くことで、何が得られるのか?
そこにあるのが「自分」です。

おそらくですが、今日身に着ける服や靴を、そこまで明確な理由をもって決めている方は少数派ではないかと思います。でもこれが、家を選ぶとか、結婚相手を決めるとかという話になると、誰もが目の色を変えて真剣になります。
不思議ですよね、選ぶ・決めるという意味では靴も家も同じことなのに。

158-2 ▼ 「なんとなく」が招く微妙なずれ

ただなんとなくパンプスを履いて足を痛くするのか?
ただなんとなくフラットシューズを履いておしゃれを諦めるのか?

その靴を好きで履いているなら全く問題ないのですが、「なんとなく」それを選ぶことによって、本来の自分の心身が行きたかった方向と微妙にずれたところに自分を置いてしまうことがしばしばあります。こういう微妙なずれが「つながりの悪さ」を招きます。

感覚過敏の子、見通しが立たない子、感情コントロールが難しい子、衝動的に身体が動いてしまう子、、、などなど、何らかの形で社会生活に難しさを感じている子たちは、ほぼ例外なく、身体感覚に未熟さを持っています。
心で思うように身体を動かせない、心で思ってもいない動きを身体が表現する、という事例は典型的です。

特別支援学校の中等部・高等部の先生方にお聞きすると、背中から肩にかけて板を貼り付けたようにガチガチに凝っている生徒さんが珍しくないといいます。その子たちの背中をマッサージしてあげると、ほーっと深い息を吐いて、とても心地よさそうにするのだとか。リラックスしてその後の課題がうまくいくことも多いそうです。

158-3 ▼ 微妙なずれが積み重なると

こういった子たちは、いわばあからさまに心と身体のつながりが未熟です。
彼ら・彼女らに比べると、定型発達の大人は、自分の思い通りに身体を操作しているように見えます。

でも、本当にそうでしょうか?
あなたが履いているパンプスは、本当にあなたが自分の意思で、自分の方向性を持って、自分の身体の向かいたいところを目指して、そのための最善の選択肢として決定した履き物ですか?

靴なんかどうでもいいじゃない、と思うかもしれません。
確かに、常同運動を止められない自閉症のお子さんと比較すると、どんな靴を履いていたとしたって、大人たちはだいぶ楽に、困らずに生きていると思います。

でも、こういう微妙なずれの積み重ねこそが、その人のつながりの悪さにつながっていくのだと思うのです。三輪堂にご相談に見える方が人生に感じているなんとなくの違和感、なんとなくの不安、なんとなくの「これじゃない」感、そういうものが全部、この微妙なずれから生まれていると思うのです。

本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。