396-1 ▼ ある眼科の先生が・・・
拙宅では、子供の視力回復のために眼科に通っています。
視力回復のための作業(決まったルールに則って目を使うとか、目薬をさすとか)を毎日行って、3週間に一度、視力検査を行います。
この視力検査の結果次第で、良くなればそれでよし、悪くなれば眼鏡をかける手続きに入る必要がある、というものなのですが。
で、こちらの眼科の先生がなかなかアクのある物言いをされる方でして(^ ^;)
彼にとっては検査の結果がすべてで、良くなれば褒めてくださるのですが、悪くなるとかなり強い口調でビシバシと指導されます。
先生は指導・訓戒のおつもりだろうと思いますが、大人のわたしが横で聞いていても、非難されているようにしか受け取れません(^ ^;)
ましてや小学生が聞いていれば、頭ごなしに叱られているように聞こえても無理もないだろうと感じます。
396-2 ▼ 緊張が生み出す悪循環
そんな指導が入るものですから、子供が視力検査を受けるときの緊張感はただならぬものがあります。。。
間違えて悪い結果になったら先生に怒られる、という恐れと怒りから、少しでも自信がなくなると黙り込んだり、「足がかゆい」などと全く違うことを言い出してごまかそうとしたり、わざとふざけたり、ふてくされたり、、、
それだけ緊張していれば、当然のことながら目の使い方や発信の仕方にも影響が出ます。
ゆったりと落ち着いていれば見えるかもしれない物事が見えなくなり、多少迷っても思い切って答えてみようと思えるかもしれない物事にチャレンジする余裕は一切なくなります。
不安と自信のなさが増幅されて、心身の緊張に拍車がかかります。
ストレスを過敏に受け取るタイプのお子さんなら、パニックを起こしたり叫び出したりといった表現にも結び付きかねません。
そんな状況を生み出しているのは、先生の高圧的な態度と、検査結果の数字のみが判断材料になっている点です。
先生には先生の信念がおありなのは十分に伝わってきます。
「自分の言った通りのルールに従っているかいないかは必ず検査結果に反映される」という信念は、長年のご経験から磨き上げられてきたものだろうと思いますし、わたしも信頼しています。
ただ、言い方がキツイ!というところなんですね(苦笑)。
本人は本人なりに努力している(つもりである)。
でも、おそらくその努力が足りないか、方向性が間違っていて、正しい成果につながっていない。
こういう状況のとき、結果だけを見て指導するか、プロセスも認めるかで、人が受け取る印象は相当に変わります。
396-3 ▼ 結果だけを見るか、プロセスを含めて見るか
結果だけですべてを判断するというやり方も間違っていないと思います。
そのおかげで奮起して、最大級の結果を出せる方も大勢いるでしょう。
と同時に、結果だけで物事を見る判断軸は、0か100かの極端な結論に直結します。
1点でも合格点を下回ったら不合格になる試験のようなもので、試験の日までどれほど努力したかはすべて無になってしまいます。
たとえば、いま東京オリンピックに出場されている選手の皆さんは、きっとどなたもこれまで血のにじむような努力をされてきたことと思いますが、金メダルが取れなかったからといって彼ら・彼女らの努力がすべて無になるでしょうか?
たまたまメダルは取れなかったかもしれないけれども、トップアスリートとして全人類の上位1%に入るほどのスキルを持った人であることは変わらないのではないでしょうか?
プロセスを認めることで、人は、自分の行動にも意味があったと思えるようになります。
結果が出ない現状に甘んじて良いというわけではありませんが、結果が出なかったからといって自分の行動のすべてを否定する必要はないのですから。
レジリエンス(失敗したときに立ち直る力)を育むためにも、プロセスを認めてあげることは極めて重要な一歩です。
わたしは、結果だけでなく、プロセスを伴う成果をこそ大切にしたいなと思っています。
あなたは、いかがですか?
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。
- 療育のセカンドオピニオンが欲しい方
- 一般的な療育支援分野とは違う角度からアドバイスが欲しい方
- 漠然とした不安や言葉にしづらい”何か”があってクリアにしたい方
ぜひ一度「オンラインセッション」にお声掛けください。
育児・療育は親子の育ち合いです。
お子さんのお話だけでなく、親御さんのお話を伺うことも大切な時間です。
うまく書けない・しゃべれないと思う方もご安心ください。
ゆっくり丁寧にあなたの中にある”何か”を引き出します。