292-1 ▼ 人それぞれの勝ち負けの形
昨日は勝敗受容について書きました。
前回の記事はこちら
「カルタの全力勝負と、変化のタイミングを待つということ」
https://sanrindou-members.com/go/4773/
自分がスポーツ嫌いなのはそういうこともあったのかも、とか、自分は他者との勝敗ではなく自分との戦いを常にしていた、とかといったご感想をいただきました。
勝ち負けの受け取り方も人それぞれですね。
他にも色々な方からいただいたここ数日のメッセージから、「人それぞれ」ということにスポットライトが当たるように思いました。
今日は「療育の概念から捉える人それぞれ」について書いてみます。
292-2 ▼ 療育とは何か
療育の働きかけには、定型発達の人には自然すぎて気づけないところに焦点を当てる、明確化する、言語化するという機能があります。
療育の知見とは、拡大鏡のようなもの。
一見すると平らな道でなぜかしょっちゅうつまずく人がいたとして、「不器用だなあ」と笑って見過ごされそうな状況を、療育の知見で拡大して見ると、道の表面に思いがけず大きなデコボコがあったことに気づけることがあります。
その課題を自然にできてしまう人にとっては何もないとしか思えないところで彼らがなぜつまずくのか、療育の知見を通すとその理由がわかるわけです。
そのおかげで、困りの強い方への支援策が見えるのはもちろんですし、困りが強くない方にとっても、自分では自然すぎて気づかなかった自分の働き、自分の心身の仕組みが見えてきます。
療育は特別な何かではなくて、物事にズームする度合いを変えるものとでも言いましょうか。
物事をより細かく区切ってミクロに見るのか、大きくまとめてマクロに見るのか、その間を自由に行き来するためのツールだと思うのです。
292-3 ▼ 「人それぞれ」を実現する
発達障害といい、定型発達といい、発達グレーゾーンといい、さまざまな呼び方で発達の状態像を表現することがありますが、一番大きく俯瞰して見れば、結局みんな「人それぞれ」ということでいいのではないかなと思っています。
単に自分の色があるだけで、誰かと比較すれば自分がその人よりも濃いか薄いかはわかるけれど、濃かろうが薄かろうが、価値に差はありません。すべて等価です。
等価ですが、濃すぎて、または薄すぎて困ると感じる方には、療育の関わりで色を均していくことができます。
隣の人と全く同じ色になる必要はなくて、自分が困らない程度の濃さ・薄さになればいいのですね。
そのためのツールとして、療育があります。
療育とは、この世の中で、自分が自分なりの「人それぞれ」を実現していくための概念なのだろうなあ、などと思っています。
だからこそ、発達上の困りがある人もない人も、みんな療育の知恵を持って進んでいけたらいいなあと、そんな風に思う次第です。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。
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