こんにちは。三輪堂です。面白く生きる連載、252通目です。
252-1 ▼ 調子の出ない日
個人的な話で恐縮ですが、、、
今日はどうにも色々と調子の崩れた一日でした。
いつもならほとんど気にかからずに流してしまえることが何かと気になって、イライラしたり、悲しくなったり、腹が立ったり。
子供もお友達とトラブルがあったようで泣いて帰ってきましたし、仕事もはかどりませんでしたし。。
こういう日は、知人からメールの返事がなかなか返ってこないというただそれだけのことにすら、
(何か自分が相手を傷つけてしまったのではないか)
(相手が自分のことを嫌いになったのではないか)
という疑心暗鬼が、じりじりと頭をもたげます。
こうやって相手の言動を自分の側に引き付けて勘ぐるというのは自分の昔からの悪い癖なんです(^ ^;)
最近は相当減ってきたのですが、自分の調子が崩れると、時々こうして昔の癖が顔を出しますね。
252-2 ▼ お子さんを見守るバランス
こういうときはあまり深く考えず、「そういう日もあるよね」と流してしまうのが一番ですね。
この言葉は、自分にとっては、深く考え込んで悩みのドツボにはまっていきそうになるとき、ふっと自我を手放すための魔法の一言です。
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療育でも似た状況になることがありますね。
たとえば、お子さんの生活の中で何かの課題が表面化したときに、どこかに根本原因が隠れているのではないかと状況を客観的に観察することはとても大切です。
が、その一方で、子供たちも人間ですから。
虫の居所が悪い日もあれば、ちょっと調子が出ない日もあるでしょう。
今日はケンカをしたお友達と、明日は笑って遊んでいるかもしれません。
表面にある出来事をあまり細かく拾い上げようとすると、ちょっと視野が狭くなってしまうし、対応する大人が疲れてしまうなと思っています。
気にかけつつも、堂々と構えて様子を見守る余裕を忘れないという、近づきすぎず離れすぎずのバランスが大切ですね。
252-3 ▼ 調子が出ない時は潔く自分を手放そう
療育に言えることは、大人自身についてもそのまま言えます。
調子が崩れたからといって表面的な出来事に捉われて大局を見失うのも違うし、根本原因を見落として通り過ぎるのもちょっと残念です。
バランスよく自分を客観視できると良いのですが、自分を自分で客観視するということはたぶん世界で一番難しいことだと思います。しかもその難しいことを、調子が崩れてネガティブになっている自分がうまくできようはずはない。
ということで、やっぱりこういう日は、「そういう日もあるよね」ととりあえず流して、自分をジャッジしようとする自分を潔く手放して、もうちょっと落ち着いてから客観視を試みるのがよろしかろうと思う次第です。
とりとめもない文章になりましたが、本日は以上です。
「そういう日もあるよね」ということでお笑いくだされば。。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。