こんにちは。三輪堂です。面白く生きる連載、239通目です。
239-1 ▼ 相対するものによって引き出される反応が違う
ここ数日、障害受容について書いております。
スタートとして、「障害」を「受容」するというときの、そもそもの前提となる考え方をご紹介しております。
前回の話は、人は必ず他者(人、物体、空間)との関わり合いの中で生きていて、人が周囲の環境と関わるときには
1️⃣他者によって自分の中から引き出されるもの
2️⃣他者のまなざしによって評価される自分
の両方のベクトルがあるという話でした。
たとえば1では・・・
✔️AさんとBさんとのどちらと一緒にいるかで、自分の心持ちや態度が違う。
✔️にぎやかな空間と静かな空間でも違う。
✔️和服を着ているときと洋服を着ているときでは、足さばきが違う。
✔️固い床とふわふわの布団とでは、寝転がるときの身体の使い方が違う。
このように、自分が相対する人・空間・物体によって、自分から引き出される反応・成果が変わってきます。
239-2 ▼ その場の空間と人の集団によって
またたとえば2では・・・
✔️自分は同じ行動をしているのに、Aさんからは「もっと静かにしろ」と言われ、Bさんからは「もっと発言しろ」と言われる。
✔️教室内では叱られる行動が、野外キャンプの場では称賛される。
✔️自分とAさんは同じ行動をしている(ように自分には思える)のに、自分は注意され、Aさんは褒められた。
このように、その場にいる人々によってふさわしいとされるルールが共有され、その人々のまなざしによって自分の行動が評価されます。
こうして1と2の複雑なバランスの中で特性というものが認識されます。
たとえば、手先の運動が苦手で鉛筆をうまく使えないお子さんがいたとします。その子は音声入力アプリでならば完璧に文章を構成できるとしましょう。
この場合、この子は「自分は文字が書けないから不器用だ、勉強ができない」といった自己認識に到達しがちです。(現実に、こういったタイプのお子さんは学校では「特別な配慮が必要」として遇されます。)
239-3 ▼ はざまにあるもの
それは、鉛筆や文字入力アプリという物体(他者)から引き出された自分の行動と、鉛筆で書くことが書字の第一歩であるというその場における常識(他者のまなざし)に対する意識とが絡み合ってそうなるので、もしこの子が「どんな方法であれ文章が書ければOKだよ」という環境にいるならば、この子の自己認識は「自分は文章を書くのが得意だ」という方向に育まれるでしょう。
発達障害というと、医師の診断を受けたり、療育手帳が支給されたり、投薬によって症状を緩和したりと、何か具体的で明確な「障害」というものがそこにあるかのように扱われます。
が、どちらかというと、人々が発達障害と呼んでいるものは、1と2の考え方のはざまに浮かんでいるぼんやりとした概念と受け取ったほうが、特性理解にはふさわしいでしょう。
明日からはいよいよ「1と2のはざま」を見つめる具体的なアプローチに入っていきましょう。
こういう小難しい話を小さなお子さんにお話してももちろん理解できるわけはないので、子供たちには具体的な作業を通して「1と2のはざまのぼんやりとした概念」にたどりついてもらえるように工夫していきたいと思います。
本日は以上です。
それでは、また。
いつもあなたに明るい風が吹きますように。