ほんの数ミリの身ごなしが、
人生を変える。
こんにちは。
楽しい療育の三輪堂 瀧本三輪子です。
このページを開いてくださったということは、
もしかしたら、あなたも「線」に疲れているのかもしれません。
できる/できない
よい/わるい
美しい/美しくない
発達障害/定型発達
日本/外国
家族/他人
・
・
・
わたしたちはいつも、何かの軸で物事を2つに分けて、
その線の右側にいるか、左側にいるか、で一喜一憂しています。
うちの子は発達障害の側なのか、そうじゃないのか。
自分はできる側なのか、できない側なのか。
あの人より上なのか、下なのか。
線を引くことは、時にとても役に立ちます。
たとえば、子供の特性がわかれば、
必要な支援を組み立てられる、といったように。
でも、いつのまにか、その線に「とらわれて」しまってはいないでしょうか。
わたし自身、ずっと「できる/できない」の線にとらわれてきた一人です。
幼い頃、わたしは実に可愛げのない子供でした。
むすっと黙りこくっていて、友達もいなくて、
おしゃべりも、楽しく遊ぶことも苦手で。
まわりの子はみんな愛嬌があって、コミュニケーションが上手でした。
わたしは、そんな子たちと自分を比べては、劣等感を抱えていました。
そんな中で、唯一見つけた自分の価値が「勉強ができる」ことでした。
それは大人になって「仕事ができる」に、そのままスライドしていきました。
何かが「できる」ことで人の役に立てば、喜んでもらえる。
「優秀だね」「あなたが欠かせない」と言ってもらえる。
それが、わたしのアイデンティティになっていきました。
だから、どんな場所でも無理にでも役に立とうとしたし、
自分より「できる」人を見ると、悔しくてたまりませんでした。
でも、何年もそれを続けているうちに、
だんだん、そんな自分に違和感を覚えるようになったんです。
誰かと比べて、優劣をつけ続けるのは、しんどい。
劣っている側に回るのもつらいし、
かといって、誰かと比べなければ成立しない「優れている」に、
本当に意味なんてあるんだろうか、と。
そんな疑問を抱えたまま、もやもやと過ごしていたある日。
うちの子供が習っている、オンラインの運動プログラムでのことでした。
「ローリングライクアボール」という、
膝を抱えて背中を丸め、前後にコロコロ揺れる運動を、
息子は1週間練習しても、うまくできずにいました。
次のレッスンで、コーチがかけてくれた言葉は、たった一言。
「おへそを見てごらん」言われた通り、あごを少し引いて、おへそを見るようにしたら、
1週間できなかった動きが、その場でふっとできるようになったんです。
その瞬間、衝撃を受けました。
「できる」って、いったい何なんだろう。
わたしはずっと、「できる」と「できない」の間に、
くっきりとした線を引いて考えていました。
でも本当は、その線は、思っているよりずっとあいまいで、
ほんの少しのことで、じわっと、にじり寄っていけるものだったんです。
もうひとつ、似たような経験があります。
紙を切っていて、ハサミで手を切ってしまったことがありました。
なぜ切れたのかといえば、理由は単純です。
それは、刃先に手を出していたから。
子供にハサミの使い方を教えるときは、
「刃の横に手を置いてね」と教えますよね。
刃の前に手を出してはいけない、と。
大人だって、本当は同じことのはずなのに、
ついうっかり、油断していたんです。
このふたつの出来事から、わたしはあることに気づきました。
うまくいくか、いかないか。
できるか、できないか。
それを分けているのは、才能でも、根性でもなくて、
ほんのちょっとした「身体の使い方」だったんです。
あごを引くか、引かないか。
刃の横に手を置くか、前に出すか。
その、ほんの数センチ、数ミリの違い。
わたしはこれを、「身ごなし」と呼んでいます。
そして、これは身体だけの話ではありません。
たとえば、わたしのクライアントさんに、こんな方がいました。
相手が何か言う前に先回りして気を遣ってきたような方で、
長年、自分の本音をひたすら心の中に秘めてきた女性です。
この方は、
「夕飯は、今あるもので適当に作ってくれればいいよ」
パートナーにそう言われるたび、
内心「適当にって言われても、作るのはわたしなんだけどな」
と思いながらも、ずっとそのまま受け入れていました。
それから十数年後、彼女はそのパートナーと離婚しました。
(建設的に次のステップに進んだ結果で、今もお二人は仲良しです)
ある日また、同じように「適当に夕飯を」と言われたとき、
彼女は、はじめてはっきりと言いました。
「そんな言い方はしないで。適当にって言うけど、作るのは大変なんだよ」
すると、彼はこう返してきたそうです。
「ああ、そうか。ごめんごめん。じゃあ、買って帰ろうか」
もしかしたら、十数年前も、
彼女がはっきり自分の気持ちを伝えていたら、
彼は同じように「ごめんごめん」と言ったのかもしれません。
でも、彼女がそう言えなかった十数年間、
彼女の「世界」は、そうやって形づくられていたんです。
自分の本音を、ちゃんと言葉にする。
相手の気持ちを、素直に受け取る。
そのほんの小さな「身ごなし」だけで、
自分の生きる世界は、変わっていきます。
人生を変えるのに、
大きなチャンスや、劇的なきっかけは、必要ありません。
必要なのは、ほんの小さな「身ごなし」。
あごを引くこと。
刃の横に手を置くこと。
本音を、ひとこと言葉にすること。
それだけで、うまくいく/いかないの線に、じわりと近づいていけるんです。
この「身ごなし」について、
これから、メール講座で、少しずつお伝えしていこうと思います。
無料で参加いただけます。
あなたの日常にある「線」に、ふと気づけるようになる。
そんな時間を、ご一緒に過ごせたら嬉しいです。