私の支援の理想は、「じぶんの木を、育てよう。」ということです。
人にはそれぞれ、もともと持って生まれた「育つ力」があります。
この育つ力を、育ちたがっている方向に向けて、力いっぱい育ててあげるのが、「じぶんの木を育てる」育児です。
「育つ力」を持っているのは人間だけではありません。
たとえば植物でも。
ヒマワリの種からはヒマワリが咲き、アサガオの種からはアサガオが咲きます。
ヒマワリの種を植えてアサガオが咲くことを期待する人はいませんよね。
ヒマワリはヒマワリ、アサガオはアサガオだと、考えるまでもなくわかっているからです。
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ところが、育児においては・・・
人間の「育つ力」は、植物のようにわかりやすくはありません。
だから、ついつい、保護者は期待します。
こんなふうに成長してもらいたい、こんなことができるようになってもらいたい、と、期待をこめるのです。
この期待が、お子さんの「育つ力」にそむいている場合、保護者もお子さんも、大変辛い思いをします。
「育つ力」にそむいた期待とは、おおむね
・お子さんの発達段階がそこまで到達していない
・お子さんご本人はそれを望んでいない
・お子さんの「育つ力」を超えている
このいずれかです。
これは、言ってみれば、ヒマワリからアサガオを咲かせようとしたり、芽が出たばかりのヒマワリに花を咲かせようとしたりするのと同じです。
ヒマワリやアサガオについてなら冷静に判断できる大人でも、自分の子供についてとなると、、、
誰でも目が曇るものです。私自身もそうです。みんなそうです。
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大人の目を曇らせる一番の理由は何だと思いますか?
それは、
「期待」
です。
こんなふうに育ってもらいたい。
早くこんなことができるようになってほしい。
親なら誰でも心に抱く想いが、子供に真正面から向けられた途端、重い鎖となって、保護者自身と子供たちの心を締め上げます。
○○がうまくいかない。
どうしてこんなこともできないんだろう。
なんでこの子はいつまでたってもこうなんだろう。
こんな思いを感じている時は、期待の鎖があなたとお子さんの心に重くからみついている時です。
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期待すること自体は悪いことではありません。
ただ、それよりももっともっと大切なのは、
「信頼すること」
です。
お子さんの「育つ力」を信頼し、お子さんは自分にとって必要な体験を吸収しながら自分自身の物語を生きている、と信頼すること。
自分が親として子供に期待することは当然ありながらも、それとは別に、お子さんはお子さん自身の人生を自分のペースで歩いている、と信頼すること。
期待を信頼の翼で包んであげた途端、重く冷たい鎖はほどけ、保護者の祈りは明るく輝く大空に向かって羽ばたいていきます。
保護者の心はふっと軽く、温かくなり、その想いがお子さんにも伝わって、お子さんの表情もますますいきいきと輝き始めるはずです。
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「じぶんの木を育てる」理想の育児とは、ヒマワリならヒマワリらしく、アサガオならアサガオらしく、その子の「育つ力」を最大限に発揮させてあげることです。
中には、何十年に一度だけ花を咲かせるとか、一年で数ミリだけ育つとかといったような、超大器晩成型の「育つ力」もあります。
それでもいいんです!
時には、日当たりを好むヒマワリをどうしても日陰で育てなければならないとか、つる性のアサガオにどうしても支柱を立ててあげられないとか、「育つ力」の理想をかなえられないこともあるでしょう。
それでもいいんです!!
その子が持っている「育つ力」に寄り添って。
今の環境の中で、精一杯、できることをしてあげる。
その子の「育つ力」を心の底から信頼する。
保護者自身の「育つ力」も心の底から信頼する。
そうすることで、「じぶんの木」は、自分の物語をつむぎながら、自分のペースで、育っていきます。
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あなたとあなたのお子さんが、自分の「育つ力」を最大限に発揮しながら、大きく、強く、美しい花を咲かせること。
それが療育を通して実現したい私の祈りです。
私はすべての方の「育つ力」を信頼しています。
あなたとあなたのお子さんが、自分自身の物語をつむいでいることを心から信頼しています。
ご一緒に、明るい高みを目指して、一歩ずつ進んでいきましょう。