ある方が、こんなことをおっしゃっていました。

 

 

「最近はようやく、日常の中で子供に教えられることが増えてきたって実感が持てるようになりました。」

 

 

この言葉を聞いてハッと気づいたことがあったので、シェアさせていただこうと思います。

 

 

 

この方のお子さんは5歳の男の子で、自閉症スペクトラムです。

このご家庭では、とにかくきめ細かく丁寧に育児をされていました。身近なものを使って教え方を工夫したり、お子さんに伝わりやすい働きかけを常に心がけたり、就学後に困らないようにと学校で使うのと同じ机と椅子を用意したり、お子さんが大好きなテレビ番組に出てくるおもちゃを自作したり・・・

 

私がお送りするアドバイスもすぐに実践されて、しかもご家庭なりの工夫を追加して、どんどん成果を上げていかれるのです。なかなか、ここまで実践できるお宅は少ないのですよね。この実行力にはただもう尊敬あるのみです。

 

お子さんは心も体もスクスク成長しているように感じられました。もちろん波はありながらも、とても順調に進んでいるように見えるご家庭だったのです。

 

 

 

そんな時に冒頭の「子供に教えられることが増えてきた」という言葉を伺ったのです。驚きましたが、同時に、(ああ、そうか!)と気づいたことがありました。

 

 

 

私は、この方はすでにたくさんのことをお子さんに教えておられると思っていたのです。(実際、私が見ているご家庭の中では1、2を争うくらい、順調に指導されているのですから。)

ところが、この方ご自身としては、教えている実感がなかった。これは大変重要な視点だと思います。

 

 

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子供を育てる時、大人は毎日毎日、無数のことを子供に伝えたり教えたりしながら生活しています。

 

「人のカバンの中を勝手に見ないのよ」
「まずこれをやって、次はあれをやろうね」
「ご飯の前に手を洗おうね」
「クッキーは小麦粉でできてるんだよ」

などなど・・・

 

生活の中で出会うありとあらゆる物事が、子供にものを教える機会になっています。

大人のほうではほとんど意識せずに働きかけていることも多いだろうと思いますが、子供のほうでは案外しっかり心に留めていて、同じ失敗をしなくなったり、場面にふさわしい行動を取れるようになったり、小さな知識を少しずつ積み上げていったり、といったように、少しずつ成長していきます。

 

ただ、それは、大人の言葉を素直に受け入れたり、複数の情報を同時に吸収したり、記憶をスムーズに定着させたり、といった力が十分に育っているお子さんの場合です。

 

冒頭のお子さんは自閉症の特性を比較的強めに持っている子でした。実年齢がまだ5歳と幼いこともあり、すぐに気が散ったり、自分の世界に入り込んだりして、日常生活で大人からの働きかけを受け止める力はそれほど高くありませんでした。

そのお子さんが長年の療育の成果で少しずつ集中力を維持できるようになっていき、感覚過敏もやわらぎ始め、手を使う遊びも楽しめるようになってきたところで、ご両親はお子さんと一緒にケーキを作ったそうです。
手で道具を使いながら、道具の名前を教えたり、卵を割ったり、粉を混ぜたりして調理を進め、オーブンで生地を焼いて、一緒に「おいしいね」と食べることができました。

お子さんが調理の全てのプロセスに積極的についてくることができた様子を見て、ご両親はお子さんの成長を改めて実感され、それが冒頭の「教えられることが増えてきた」というお言葉につながったのでした。

 

 

お子さんが情報を受け止める力には差があること、今の力に合わせて働きかけることが大切であること、は十分に理解していたつもりでしたが、それを見守る保護者の複雑な気持ちを、私はほんのわずかな一面でしか想像できていなかったのだと気づかされました。
日常生活の中で大人が教えるともなく教えている知恵が膨大な量にのぼることも、だからこそそれができない保護者が感じるであろう物足りなさや孤独感も、私は明確に意識することができていなかったのです。。。

 

また、「教えることができる」ことは、こんなにも嬉しいことだったのだ、ということにも改めて気づかされました。
人間はもともと、成長したい意欲を持っています。私は、学ぶ喜び、成長する喜びを多くの人に味わってもらいたいと考え、行動してきましたが、「学ぶ喜び」があれば「教える喜び」もあるのだという視点が少なかったな、と反省しています。

 

 

 

貴重な気づきをくださったこちらのご家庭に心から感謝しています。

 

 

定型発達のお子さんを育てている家庭が何気なく表現するちょっとした会話や態度に、ひそかに心を痛めている保護者は、どれほど多いことだろうと思います。
どのご家庭にも、そのご家庭なりの育ちの姿があるので、お互いに遠慮したりひがんだりせず、堂々とそのご家庭の姿勢を貫けばよいと私は考えています。
ただ、ほんのちょっとだけ、(そんなふうに思う家庭もあるのだ)ということに、思いをやっていただければいいなと思います。

静かな思いやりが広まっていきますようにと祈りをこめて・・・(^ ^)