私はよく、○○をするにはこのように教えると良い、□□にはこうすると良い・・・という内容の記事を書いているせいか、時々このようなご質問をいただきます。
「○○をするのにこれまで△△という教え方をしてきましたが、これは良くなかったのでしょうか?」
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基本的には、「良くない教え方」というものはありません。
お子さんに合えば、どんな教え方でも良いと思っています。
ちょっと極端な例で言えば、体罰で脅しながら教えるとか、睡眠や食事すら削って教えるとか、本人の現状を否定しながら教えるとか、大多数のお子さんには一般的に言ったら向かないだろうなと思われる教え方であっても、「本人の肯定的な奮起」に結びつくのであれば、アリだと思います。
ただ、このような教え方は、指導者の卓越したスキルと徹底的な情熱がないと、本人の健全な成長や自己肯定感には結びつかないことが多いでしょうね。
ですから私はもう少し穏健な方法をお勧めすることが多いです。
この教え方はダメだ、良くない、と考えるよりも、この教え方はこの子に合うかどうか?と考えていただきたいと思います。
「ダメな教え方」はありませんが、「よりお子さんに合う教え方」は存在するかもしれません。
その子に合う教え方とは、
★その子の認知特性に合っている教え方
★その子のやる気を引き出す教え方
★その子の自己肯定感につながる教え方
です。
冒頭の質問をくださった保護者の場合は、今まで教えていた△△という教え方が、この3つの観点から見てうまくいっているかどうかを見つめ直してみるとよいでしょう。十分にこの3点を満たしているならばそれでよいのですし、どこか足りないところがあれば、より良い教え方を求めて別の方法を試してみるのがよいでしょう。
優秀な指導者とは、様々な教え方を持っている人のことを言うのだと思います。
Aの教え方がイマイチだったらBの教え方を試してみる。BがダメならC、CがダメならD、といったように、お子さんに合う教え方が見つかるまで、諦めずに手立てを考え続けましょう。
「諦めたらそこで終わり」って、よく聞くフレーズですが、この言葉はやっぱり真実ですよね。
お子さんへの指導も、諦めたらそこで終わってしまいます。
私が書いている方法以外にも、良い方法は無数にあります。あなたのお子さんにぴったり合う教え方を見つけ出してあげてくださいね。
★追記★
「体罰はダメでしょ!」というご意見をいただいたので、この記事の意図が伝わりにくかったかと思い、補足します。
この文章で言いたかったのは、どんな指導方法であっても、頭から否定することはない、ということです。
仮に、体罰がその子の認知特性に合い、やる気を引き出し、自己肯定感の向上につながるならば、体罰もアリだ、ということです。
こう書いただけで、体罰がこの3点につながるなんてあり得ないだろうと、たいていの方は思われることでしょう。私もそう思います。現代日本で育っているほぼすべての子供たちには、体罰は向かないでしょう。
でも、この広い世の中には、体罰に対する考え方が全く違う社会があって、そこでは体罰が称賛と同じくらいの力を持っているかもしれないのです。多面的にものを考えるためには、あらゆる状況を否定せずに、いったん受け止めて考えるということが必要です。その上で、その子にとってより良い方法、より「合う」方法を、考えていくのが、理想の指導と言えるのではないでしょうか。
どんな時も、決まりきった観点からだけものを考えていてはいけない、ということですね。
さて、「体罰」という表現が拒否反応を呼んだのだろうな、と思いますので、そのことについても追記しておきます。
まず体罰について、私は基本的に反対の立場です。体罰に限らず、あらゆる暴力行為は、すべての人間関係や環境においてマイナスの影響しか与えないと考えています(そうじゃない世界があるかもしれない、と上で書いていますが、それは議論としての話です。)。
その一方で、支援者としてご家庭に向き合う時、そのご家庭で体罰が行われていたとしても、私はそのご家庭のやり方を頭から否定しようとは思いません。個人的な反感を持ったとしても、それは脇に置いておいて、可能な限り冷静に客観的に向き合おうと努力します。どんなご家庭にも必ずそのご家庭の歴史があり、行動の理由があり、ご家庭の意思が尊重されるべきだからです。否定から入っては建設的な関係は築けません。ご家庭の空気を理解した上で、できる限りすみやかに、体罰以外の方法をご家庭にお伝えしたいと考えています。
(ただしこれも、体罰が虐待といえるレベルになっていて、お子さんの生命や精神保健に極端な悪影響をもたらしている場合は別です。緊急の介入が必要な時は臨機応変に判断すべきです。)
自分が「体罰はダメ」と考えているからといって、それ以外の考えを全く受け入れないという姿勢は逆効果だと思っています。
療育中の保護者の中には、悪いとわかっているけれどつい手を上げてしまった、怒鳴ってしまった、という悩みをお持ちの方がおられます。そのような方々と向き合う時に、「あなたのやっていることは絶対に間違いです、絶対に駄目です」と伝えることが、果たして良い支援につながるでしょうか?悪いことは十分にわかっていて、それでも手が出てしまう人たちに対して、目の前で扉をピシャンと閉め切るような態度に見えてしまうと思っています。
体罰をしてしまう保護者の気持ちを汲み取り、保護者に寄り添って、まずこちらの言葉を受け入れていただく関係を構築しなければ、体罰を断ち切る支援そのものができなくなります。
体罰は絶対にダメ!と訴える方も、できる限り多くの考え方を理解しようとする私も、「体罰のない世界をつくろう」という理想は同じです。真正面から果断に追求していくか、寛容と相互理解を土台に少しずつ進んでいくか、理想へのアプローチ方法が違うだけなのですよ。
ちょっと取り留めがなくなりましたのでこのへんで終わりにします。
もとの記事の意図をご理解いただければ幸いです。